第215話 退屈から移動する環世界
「ダイラさん、先日、街をブラブラしていたら、どこからか急に『何となく退屈だ。』と聞こえてきました。」
「お!クワヤマダくんも、とうとうその声が聞こえてきたんだね。」
「ダイラさんも聞こえてきたことあるんですか?」
「あるよ。それは暇なときでも忙しいときにも聞こえてくるようになったら本物だよ。」
「どういうことですか?」
「ハイデッガーというドイツの哲学者が言うには、本当の自由を選択することができる人間に聞こえてくるお告げらしい。」
「田舎でバスを待っていたら乗り過ごし、次の到着時刻まで一時間待つときの退屈さとはちょっと違う感覚の退屈さなんですよね。」
「バスを待つ時間は異常に長く感じるよね。どうすることもできない持て余した時間を使って、道行く人を観察したり、鼻くそをほったり、石ころを蹴ってみたり・・。でも時計の針の動きは遅く、暇な時間を退屈にしないために努力するけど、どうにもならない。」
「僕は街でぶらぶらすることは好きで、ラーメンを食べたり、洋服を買ったり、夕飯のおかずを散策したりとそれなりに楽しんでいるのです。後輩とカラオケで酒を呑みながらわいわいやったりもするのですが、聞こえてくるんです。『何となく退屈だ。』という声が。」
「ユクスキュルというドイツの哲学者は、動物は暇で退屈することは無いと言っている。例えばマダニは哺乳類の体温37度をセンサーで感じ取ったら、枝からダイブして動物の皮膚に噛みつき吸血する。動物の皮膚に噛みつくことが目的ではなく、体温37度をセンサーで感じ取ることが使命なんだよね。センサーで感じ、ダイブし、吸血するこの三要素で世界が成り立っているんだ。人間とは認知している世界観がまるで違う、そういう世界の捉え方をしている昆虫や動物は、世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する独自の世界、
「悩み事のある昆虫や動物がいるとは聞いたことないです。皆、本能の赴くまま、プログラミングされた行動をしていて、充実した生涯を送っているようにも見えます。」
「ただ、実は人間も環世界に生きているという反論があるみたい。」
「確かに、人間は様々な視点や思考であらゆる世界に首を突っ込んでいる。宇宙の研究者が見る夜空や、鉱物を研究する人が見る石ころ、アーティストが見るゴミはあきらかに見え方が違う。70億人のそれぞれが見ている世界が違うとも言える。」
「要はそれらは、暇になった人類が退屈を埋めるために生み出した、環世界を移動した結果らしいんだ。」
「人間が一番苦手なのは退屈な時間ですものね。何もしなくていいよと言われることがどれだけキツいか。自主退職を求められるサラリーマンは仕事を与えられなくなると言われている。退屈に苦しみ転職する。」
「バブルの頃は窓際族と呼ばれていたもんだ。今の社会は窓際に追いやる余裕もなく、切られてしまう。」
「ズボンのファスナーが全開のときもそう言われていましたよね。」
「社会の窓だよね。それは・・。」
「で、そういうお告げの声が聞こえてきたらどうすればいいんですか?」
「環世界の間をガンガン移動すればいいんだ。どうせすぐに退屈と向き合うはめになるのだから。」
「このダイラ物語の作者も、内容が退屈しないように、環世界を行き来し過ぎて訳が分からなくなっていますよね。でも、それが人間のサガなら放っておきましょう。」
「今やっていることや生活の中でその声が聞こえてきたら、マダニになってみるってことだよ。」
「マーそうダニ。」
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