第169話 アートとクオリアの謎

「芸術の秋、あちらこちらでアートの展覧会があって、この時期はウキウキする。」


「大分涼しくなってきたし、紅葉を観がてら地方の展覧会でも散策する?」


「紅葉はまだ早いんじゃないの。今年の10月は例年より暖かく、紅葉も遅くなるようだよ。」


「私さぁ、たまに思うんだけど、自然の移ろいに感動することと、アートを観て心がざわつく感じの違いはどこにあるのだろうと考えちゃう。」


「簡単に区分けすれば、自然物か人工物かだよね。」


「人間だって自然の一部でしょ。自然が織りなす美しさと、人間がつくるアートに差異があるとしたら何だろう。」


「いきなり難しい問いだね。自然には感覚がないけど、人間には感覚があるってことじゃないかなぁ。人間はおいしい、痛い、心地よいといった主観的な感じがあるでしょ。脳科学ではそれをって言うらしいんだ。」


「かわいい名前ね。深海生物みたい。」


「それはクリオネだね。確かにあれはかわいい。かわいいと思う感覚もクオリアだ。」


「光を見てまぶしいと感じたり、紅葉を観て美しいと感じたり?」


「そうそう、でもそのクオリアがどのような仕組みで人間の主観に現れているかは謎らしい。」


「脳を調べれば分かるんじゃないの?」


「物理主義といって、脳の状態で心の仕組みや機能を説明した脳科学者はいたんだけど、私(主観)の感覚を客観的に説明することはできていないようだ。」


「もしかして、人間はこの解明できていない謎の感覚をアートとして楽しんでいる?」


「自然には主観がないから無防備の美なんだよね。でもその無防備の中に規則性や美しさを見出すのが人間のクオリアなんだ。そのクオリアを生かして、アートを作るから、感覚の違いや普遍的な美が、君のざわつきに繋がるんじゃないのかなぁ。」


「アートは人間のクオリアが生み出した謎の質感とも言えるわね。」


「質感って人それぞれの感じ方があるから、アーティストの主観から生み出されたものを受け入れられないことだって、当然あって当たり前だよ。」


「でも、その受け入れなさやざわつきを楽しむのもアートの醍醐味だよね。」


「そうだね。自然を観て、例えば雷を目の当たりにして、怒りは出てこないしね。自然だから仕方ない逃げようと思う。」


「科学が発達していなかった時代は、自然にも主観があると思われていたけどね。」


「干ばつに洪水、これは誰かがコントロールしていると思いたくなるのは人間の性だ。」


「そう言えば、琵琶湖の畔でビエンナーレがやっているみたいよ。」


「ダイラさんも参加している展覧会でしょ。HPを見てみよう。」


「多くのアーティストが参加しているみたいだわ。あれ?今日から始まってる!」


「次の休日に行ってみるか。アーティストのクオリアを堪能してこようよ。」


「テーマは起源って書いているわ。個性たっぷりのクオリアと出会えそうね。」


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