第168話 絶対矛盾的自己同一

「ビワコビエンナーレのダイラさんのセルフコラボ楽しみだよね。」


「私、ダイラさんの作品を観ていると不思議な感覚になるの。この空間にいるのは誰なんだろう。この作品は私なのか、私は作品なのか。」


「きみは美大によくいる不思議ちゃん?」


「私は作品を観ているというより、作品と一体化している感じになるの。」


「それは、西田幾多郎きたろうの純粋経験ってやつだ。」


「ゲゲゲの?シルクロード?シティーボーイズ?」


「妖怪でもシンセサイザー奏者でも役者でもなく、日本の哲学者だよ。主客未分しゅかくみぶんといって、ダイラさんのセルフコラボを我を忘れて美しいと感じそれを純粋に経験している瞬間には、私(主観)も世界(客観)も存在しないと幾多郎氏は言っている。」


「主語の私がいなくなる感じ。美しいと感じている私がいなくなる!作品の中に混ざり込む感じかな。」


「西洋哲学は私(主観)が美しいと感じていることを世界観としている。幾多郎は美しさを経験した後にこれ(世界)を感じているのは私(主観)だったと認識する。」


「西洋宗教と日本の神道の成り立ちの違いに似ていますね。西洋の神は私がこの世界をつくったと言っている、日本の神は元々あった世界からいくつもの神が生み出され国や人物をつくったと言っている。」


「鶏が先か卵が先かみたいな話だね。でも世界観の捉え方は大きく違う。幾多郎はという日本で哲学ブームを巻き起こした著書を出している。」


「じいちゃんの部屋の書棚で見たことがあるかも。」


「今あなたが夢中でやっていることは、感情・知性・意志の3つが一体となったという状態であるそうだ。そこには主観も客観もなく、重力も時間の感覚もなくなる。」


「何かに没頭しているときは時を忘れます。」


「幾多郎はそんな純粋経験をしている瞬間は、宇宙全体の善が個人の中に現れたものとしている。」


「やっぱり最後は宇宙ですか。」


「ダイラさんのセルフコラボは、見方考え方を変えると、人間は何かに没頭しているときの善の状態を演出しているとも言える。またその中には底無しの無の世界も存在している。」


「分かる!脳が覚醒して体が浮き、無限の彼方に放り込まれた感覚がある!」


「幾多郎は日常生活している空間をと定義した。その下層にはの場所があり、自分の底には自分を超えたものがあると言っている。」


「自分の中には自分でも理解できない場所があるってことですね。」


「その自己矛盾する有と無が相互作用することで、世界そのものが創造的に生成していく。」


「西田幾多郎さんは日本人で人間で哺乳類で宇宙のチリで・・その先は無限大ですね。私たちの存在を述語で掘り下げていくと無限大になっていく。」


「仏教でいう空の世界観と似ているね。幾多郎は自己矛盾する有と無が相互作用することをと呼んだ。」


「クリエイターの活動をバックアップするような哲学ですね。」


「日本哲学界のスターと呼ばれた西田哲学は、当時の日本人の感性にうまくフィットしたんだ。ゲームやYouTubeに没入する現代の若者ももしかしたら理解しやすい哲学かもね。」





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