第129話 槐多庵だぴょん

「ダイラさん、村山槐多をご存知ですか?」


「あぁ、名前は聞いたことあるなぁ。大正時代に活躍した画家さんでしょ。」


「今日のゲストは槐多さんです。」


「ええ!またそういう回になったの。ヤヨイさんは人脈が幅広いですね。」


「こんにちは、村山槐多です。僕はヤヨイさんとは繋がりがないようであるんです。」


「もしかして、親戚とか?」


「昔、長野県の上田市に、山本かのえという従兄がおりまして、彼は長野県に民衆芸術を広めたパイオニアです。鼎を頼りに何度か長野でデッサンを描いておりました。さすがヤヨイさんとは面識はありませんが、長野繋がりということで。」


「槐多さんは夭折の天才画家でしたよね。」


「はい、自分で言うのもなんですが。1919年(大正8年)2月、当時猛威を振るっていたスペイン風邪に罹って22歳で死にました。それまでは、結構画壇を賑わしていたんですよ。」


「槐多という名前は珍しいですよね。」


「母が、森鴎外さんの家で女中をやっておりまして、鴎外さんから命名されたと聞いております。」


「槐多さんのストーリーには凄い人物の名がたくさん出てくるんだよね。関根正二と比べられたり、高村光太郎が『強くて悲しい火だるま槐多』などと詩に詠んでいたり、当時上田に出入りしていた石井 鶴三が槐多さんのデスマスクをとったりと・・。」


「画風も特殊だったので、注目を浴びたんだと思います。でも、大体はこんな若造が描いた作品なんぞ歴史に埋没していくはずでした。」


「いや~ご活躍されていたから、そんなことは無いと思いますけど・・。」


「今から40年前に、窪島誠一郎氏が私の絵を集めて、槐多庵という美術館を上田につくってくれたのです。」


「あぁ、信濃デッサン館、槐多庵、無言館の三館は有名だ。」


「窪島さんが、ご病気になられたことで、先々の運営が心配になり、信濃デッサン館、槐多庵にあった私の多くの絵は、長野県立美術館へ行ってしまったのです。」


「信濃デッサン館は一時期閉館になったけど、KAITA EPITAPH 残照館と館名を変えて再び開館されましたよね。」


「私は、信濃デッサン館、槐多庵にいたかったです。」


「ヤヨイさん、お化けとかそういう話に展開します?」


「お化けはお化けでも、今日はそういうお化けではありません。ご安心を。」


「24時間テレビで、無言館がドラマ化されます。今や時の人となっている劇団ひとりが監督です。」


「もしかして、番宣?」


「劇団ひとりは実は長野に所縁のある人なんです。20年程前、長野市ローカル番組、に、お笑い芸人土田とバーターで劇団ひとりが出ていました。」


「今じゃ大物芸人の二人ではないですか!」


「劇団ひとりはくんとして、破天荒なお笑いセンスで、田舎者の長野市民の心はぐっと惹きつけられました。あっという間に、とんでもない番組となったのです。」


「・・・。」


「私は無言館ではなく、槐多庵をドラマ化してほしかった・・。どよぴょんくんに・・。」


「劇団ひとりに憑りついて、視聴者からはに見えるようにしたら。」


「ヤヨイさん・・。怖いっす!」













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