第128話 オレはもう超えている

「お前はもうシンデイル。」


「北斗の拳 ケンシロウの名台詞ですね。」


「子どもの頃は、ドキッとしたセリフだったよ。」


「大人になったって、別の意味で、あいつはもうシンだ。陰で言われているかもよ。」


「若い頃にはできたけど、年をとるとできないことって沢山あるからね。職場の後輩からそう思われていたりして。まぁ、シンでる能力はたくさんあるだろうね。開き直っているけど、寂しい気もする。」


「そう言えば、日本が第二世界大戦で敗戦した2年後くらいに、TAROさんは、『本当の絵画は私から始まる!』と読売新聞の取材で言い放ったそうよ。」


「『オレはピカソを超えている』とも生前言っていたらしい。」


「周囲はたじろいでいたみたい。だって、自分からそんな発言をする人いないんだからさぁ。」


「日本人は、お前はもう〇〇を超えていると偉い人から言われて初めて、自分を認めるみたいな感覚があるよね。いくら褒めても、何々先生からは認められていないから、まだまださ、みたいなこと言う人いるよね~。」


「お前はもうシンデイルのセリフだって、他力本願の日本人ならではの象徴的な言葉だ。」


「オレはもうシンでいるから、何か?くらいのセリフがあったら、TAROっぽい?」


「謙虚が美徳な日本人からは出てこない発想だけど、この謙虚っていう概念は胡散臭い。」


「謙虚に見せておけば、対立しないで済むからね。妙なわざわいを避ける効力がある態度として、日本人に染みついている。大名行列が来たら取り合えず地べたに頭をこすりつけることが、現代社会でも行われている。ヘタに顔を上げようものなら切り捨て御免ですから。」


「そのか弱い精神性が日本の美術界を堕落させているとTAROさんは言っていた。」


「超えていると言った瞬間に、比べる対象を意識している自分が恥ずかしいという感覚は捨てろと・・。大名行列に突っ込むメンタル。」


「自分が目標にしているものを他人に悟られることくらい恥ずかしいことはないからね。え!あなたピカソを意識していたの?何回人生やるつもり・・なんて言われちゃう。」


「確かに、オレがキムタクを超えていると言ったところで、せせら笑われるだけかも。」


「・・・。」


「でも、この言葉には注意が必要ね。自分に近いと思われている対象を見つけ出して、それを超えているなら、まぁ頷ける。それは古今東西変わらない気がする。」


「新しい絵画を追求し、ピカソのように破天荒な絵画を描いていた、ピカソに近いルートを走るTAROさんだからこそ言える言葉よね。」


「100M走の3コースと5コースくらいのイメージだよね。100M走と棒高跳びくら違っちゃうと??だもんね。」


「そこが、TAROさんの人心掌握する魔力なのだ。」


「まんまと引っかかりました!超えたところで、次は何を超えるの?比較するものなんて山ほどあるんだからエンドレスじゃない。」


「多分、TAROさんは、そこをもっと突っ込んでほしかったんじゃないかしら。」


「比べたってしょうがない。超えたからって何なんだ!そんなことは芸術には何の関係ないんだから・・と言いたかったのかも。日本人の感性にわざとさせる言い方でTARO教を布教させたのね。」


「やっぱり、TAROさんは、生き方を彷徨う日本人にとってのメンターだったと言えるかも。」


「メンタリストTAROだ!」




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