第125話 いわゆるゆる44歳
「ヤヨイさん、海外アーティスト44歳の時期に何があったかを色々と調べてみましたが、大きな転機を迎えている人は見当たらなかったです。」
「やはり、ここにいる方々が奇遇なだけだったのかしら?」
「え~と、日本人アーティストで、44歳がターニングポイントになった人はまだいました。」
「ダイラさん、この話題まだ引っ張るの?44歳を過ぎている人にはどうでもよい話題よ。」
「横尾忠則さんと、みうらじゅんさんです。」
「44歳で何があったの?」
「横尾さんは、44歳で画家宣言をしました。ニューヨーク近代美術館でピカソ展を観たらしんですが、豚からハムになったとおっしゃっていました。」
「飛べない豚はただの豚の話?また、スタジオジブリのデオカルトな展開かしら。」
「本当は、ハム(デザインされた商品)から豚(ファインアート)に戻されたという例えの方が分かりやすいんですが、要は、豚からハムに加工されたくらい、ショックを受けたという例えのようです。」
「ピカソを見た日本人は簡単にやられちゃうわね。TAROさんもそうでした・・。私はピカソからは特に影響は受けなかったわ。」
「ヤヨイさんは、レア・アーティストですから。ピカソより突き抜けています。」
「ダイラさん、みうらさんの44歳は何があったのかしら。」
「アートと言ってよいのか迷いますが、ゆるキャラという概念を作りました。」
「ユルキャラ?」
「ゆるいマスコットキャラクターを略したもので、地域おこしや名産品の紹介、イベントや各種キャンペーンなど地域全般の情報PR、企業・団体のコーポレートアイデンティティなどに使用するマスコットキャラクターです。特に地域のPRを目的としたものはご当地キャラとも呼ばれますが、その風貌の緩さ加減から、みうらさんが命名しました。」
「それがどうしたの?」
「それまで、マイブームという概念を生み出し、数百に及ぶブームを起こしてきたのですが、今一パっとせず・・。しかし、ゆるキャラブームは、子どもから年寄りまでを巻き込む、ビックウェーブになったのです。」
「私のヤヨイちゃん人形もゆるキャラかしら。」
「・・・。みうらじゅんさんの存在が一気に全国区となったのです。みうらさんは自身が作ったみうらじゅん賞を1994年から2000年まで行っていました。悲しいかな知名度が低く途中、中断することに・・。ところがどっこい!ゆるキャラブームに便乗して、2005年から復活し今では、世界的な賞になっています。」
「みうらじゅん賞は、ダイラさんも目指していると聞いておるぞ。」
「水木さんもご存知なのですね。」
「そろそろ、声がかかるんじゃないの。」
「松澤さん、ありがとうございます。」
「私もいただけるのかしら。」
「ヤヨイさんも、もしかしたらあるかもしれませんね!みうらじゅん賞はみうらじゅんさんの独断と偏見に満ち溢れた賞です。」
「ダイラ物語の作者は、僕がみうらじゅん賞をとることを最終目標にしています。」
「昔、みうらじゅんはテレビ番組で、オレのこと、お金大好き妖怪じいさんと言っていたぞ。」
「・・・。」
「水木さん、松澤さんとのお話もここまでのようね。またの機会にお話ししましょう。」
「ヤヨイさんの切り方、さすがですね。」
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