第123話 人生の消滅とアート

「今日は、ダイラさんのコンタクトドームでお話しましょう。」


「この日がまた来てしまったか。このドームは、原爆ドームと同じサイズなんじゃろ。8時15分この頭上でリトルボーイが炸裂する。」


「水木さん、鋭いですね。あの時に吹き飛ばされたドームです。」


「壁面の無数の穴から光がこぼれる瞬間は私はゾクゾクするわ。」


「ヤヨイさん、水玉じゃないですから・・。」


「わしは、ラバウル島で左腕を失った。現地のトライ族と仲良くなり、ポツダム宣言のあと、しぶしぶ日本に帰国したんじゃ。」


「しぶしぶ?日本へは帰りたくなかったのですか?」


「わしは生きて帰ることの恥ずかしさと、ラバウル島でトライ族と過ごしたい気持ちの葛藤があった。生き残ったことは嬉しかったが、敗戦の日本を見るのが怖かった。」


「私と松澤さんは、長野にいたわ。」


「ヤヨイちゃんはまだ高校生だったんだよね。僕は早稲田大学に通っていたけど、戦況が悪化してからは、ほとんど諏訪の自宅にいた。」


「赤紙(召集令状)は来なかったんですか?」


「そこは情報公開していないので、言えないかな。」


「あの頃の情報は新聞かラジオしか無かったから、広島の惨劇の具体的な様子は、ほとんど分からなかった。」


「諏訪には疎開していた人々が多かったから、広島の状況は、往来する人々の噂話で聞いたよ。」


「わしは、帰国してから広島のことは聞いた。」


「私は長野市松代の山奥で大本営が建設されていることは知っていたわ。たくさんの日本人労働者や朝鮮人が集められて、巨大な地下壕を作っていると。皇居、大本営、その他重要政府機関の移転のためと聞き、ゾッとしたわ。」


「この情報をアメリカが知っていたら、リトルボーイは長野市に来ていたとも言われているからね。」


「終戦とともに、松代大本営は封鎖されけど、強制労働を強いられていた朝鮮人の恨みはあの地下に封じ込められてはいないと思うわ。ダイナマイトを仕掛ける危険な業務は全て朝鮮人の役回り、祖国から半ば強制的に連れて来られて、そんな仕事をさせられるとは・・。」


「ヤヨイさん、松澤さんには、というキーワードがありますよね。ヤヨイさんは、松澤さんはとニヒっていますよね。共通のテーマは師弟関係から?」


「広島、長崎の原爆投下のショックは日本中を駆け巡ったわ。東日本大震災後の日本と似ているかもしれない。」


「一瞬で多くの命が失われる出来事は、生き残る私たちのDNAに大きな傷を残すの。」


「わしもその気持ちが分かる。わしらは本当に生き残っていてよいのかの問答を繰り返すようになるんじゃ。わしが妖怪を描き始めたのも、戦争が記憶の消滅と共に簡単に片付けられることへの恐怖じゃ。戦地で爆撃や飢餓で死んだ仲間たちのことを伝えたい一心だった。」


「水木さんが描く妖怪漫画から戦争漫画へ興味を示す人が多かったです。漫画から戦争の悲劇を学んだ、若者は多かったと思います。」


「水木さんも消滅に対して強い衝動がおありだったのですね。」


「人間はいつかは誰しも消滅しますが、ひとの人生の時間を奪う行為ほど卑劣なものはないですよね。」


「アメリカは世界平和を取り戻すための時間短縮だった、正義で原爆を落としたと言っているがそれは違う。」


「人種差別的な発想からの実験的な要素と、ソ連への牽制だわ。」


「あれから77年。人間は相変わらず、不毛な戦争を止められない。」


「戦争を回避するために、アートの力でこれから何ができるのでしょうか?」







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