第112話 奇獣 赤い手青い手
「1982年に相模原の西門商店街に設置されたTAROさんの作品、呼ぶ赤い手、青い手には、宇宙、客を呼ぶという意味が込められていたのですね。」
「ダイラくん、痛いところ突いてくるね。実はこんなデータがあるよ。」
「相模原、2018年の世論調査で、約1500人が回答した同調査では『赤い手、青い手のオブジェが市内で展示されていることを知らなかった』とする回答が43・2%、『市内で展示されていることは知っていたが、具体的な展示場所は知らなかった』が5・6%に・・。加えて『企業の注目が集まる、知人等に自慢できる』などについて7割以上が『そう思わない』と答える結果となったらしい。」
「きゃはは!好かれていないなんて、TARO芸術としては最高じゃないですか!」
「そういう言い方、複雑な気持ちになるなぁ。この作品依頼があったときは、商店街を盛り上げてね!TAROさん!と色んな人からプレッシャーがかかったんだ。だから、芸術は好かれてはいけないと言いつつも、宇宙の後に客を呼ぶなんていうキャッチフレーズを付けちゃった。好かれていることで迷いが生まれた!本当は、宇宙も客もぶっ飛ばす!くらいがよかったのかも・・。」
「ダブルスタンダードのTAROさんらしくていいじゃないですか!最近はどこの商店街もシャッター街なんて言われているところが増えていますよ。時代の流れには逆らえませんよ。」
「ダブルスタンダード!?対極主義をそんなチャラい言葉で簡素化しないでおくれよ。町興しをテーマに設置した赤い手青い手が、期待を裏切る結果になったことは、残念だ。しかし、対極主義的に考えると、彼らを裏切らないと、オレの芸術は成り立たない・・。」
「第7話のTAROMANが赤い手と青い手にもみくちゃにされながら、様々な形態に変化していく様は、劣化が進み、人々の記憶から消えている街のオブジェへのアンチテーゼですよね。」
「あぁ、あれは、オレが作った赤い手青い手や、日本中に設置され放置されているオブジェへの戒めだね。最終形態は赤い手青い手と合体して、鳳凰になり飛び去った。オブジェはいらないというメタファーだね。」
「うしろメタファーですね。」
「それにしても、対極主義とは何ぞやを、5分間のマッドストーリーでまとめ上げるムサビ出身の藤井亮さん(監督・脚本)の腕には脱帽だよ。」
「好かれる奴ほどだめになるを体現しているのは、藤井監督かもしれない。」
「彼は人々から好かれないように、ウンコ帽子を被っているらしいですよ。」
「奇才は違うな!尊敬するよ。」
「深夜の5分間で、人気を失う可能性を秘めた選択をした彼は、
「あのドラマに出てくる役者だって、嫌われることを覚悟している。だって、毒々しい演出の中で、妙に耳に残る甲高いアフレコはどう見てもキッツイよね。衣装も滑稽だし、私、TAROMANに出てるんだ!なんて、気軽に言えない雰囲気だよ。」
「ナレーションも脳裏に焼き付く声質とテンション!命を懸けているように見えます。好かれることに命を燃やす現代を風刺する、今回のTAROMANは、街の彫刻家や立体アーティストの心に刺さったかもしれない。僕は、アーティストになったときから、永久設置的な作品はつくっていません。」
「ダイラくん、君は先を見越していたんだね。」
「日本中にある、放置されたオブジェをどうするのか、真剣に考える時が来ているのかもしれませんね。」
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