第110話 ど根性×TARO

 ダイラ物語、第99話100話でダイラはTAROとの夢の対談をした。その後、TAROがダイラの体内に憑依するというデタラメなフェーズに入った。

 

 ダイラの発言の中にTAROが出てきたときにはEテレで放送中のTAROMANになぞられ、DAIRAMANと呼ぶことにした。そして、べらぼうな発言を展開することで周囲を微妙な空気に包み込んだ。


 しばらくして、ダイラの着ているTシャツの中央には、TAROの顔がプリントされた。


 DAIRAMANになるときは、TシャツのTAROが毒を吐く。TAROが毒を吐く間は、ダイラは素知らぬ顔をしていたが、人間関係の破綻が予想される場面では、みうらじゅんのカエルシールをTAROの顔に張り付け、急場を凌いだ。


「TAROさん、形式化された芸術を見ると、毒を吐きたくなるのは分かりますが、僕の人間関係のことも気にしてくださいよ~。」


「裸婦像や枯山水系の絵を見ると、ついつい・・。」


「TAROさんが1954年に上梓したは名著で、現代アーティストのバイブルになっていることは間違いないです。ただ、世の中には、忙しい仕事の合間に、典型的な富士山を描いたり、型が決まりきった民芸品のようないやげ物をつくって有意義な時間を過ごし満足感を得ている人もたくさんいるのですよ。」


「オレは、そんな八の字文化が嫌いなんだよ!」


「あぁ、八の字さえ書いとけば、皆、富士山を連想して、いいなぁと思う価値観ですよね。あれはあれで、日本文化の一つなんだから、許容してくださいよ。」


「日本には日中、裸で過ごす文化なんかないじゃん。なのに、未だに裸婦像を描いたり、彫刻したりする輩があとをたたないのは納得いかない!」


「僕の知り合いには、好んで、そういうモチーフを扱っている人たちがいますよ。別に人の趣向にあーだこーだ言うのは止めてほしいです。時代とのを楽しむアートもあるんですから。」


「ズレ?令和はそんな時代なのか?」


「そうですよ。TAROさんが、日本の美術界を爆発されて以降、何でもありの現代美術を皆楽しんでいますよ。」


「いや~現代美術はコンセプチャルで嫌いだよ!もっと根源的で身体性のある、血みどろになりながら創作するのが本当の芸術じゃないか!」


「TAROさんのように、ど根性で制作している人もいれば、このダイラ物語の作者みたいに、パソコンの前でパチクリして、うだつの上がらないコンセプチャルでカウンターカルチャーを走っている奴もいれば、いろいろですよ。僕は、特殊照明で動く影を演出していますし、土偶から人体、写実に抽象、古典からアバンギャルドまで、自分が好きなことを選んで誰からの干渉もないまま、作り続けられるのが、現代のよさですよ。」


「なるほどTAROMANも、昭和時代の特撮の特徴、ドロベチャな色彩感覚で人気を博しているのは、ズレのノスタルジーを楽しんでいるのか。」


「令和はコロナ禍以降、ホワイト社会になりつつあります。全てが綺麗でないとダメみたいな。皆マスクをして顔を隠します。毒を吐くとすぐに叩かれるので、静かにきれいごとしか言いません。お店で売っている商品も綺麗であることが大前提です。これは、人間の精神を苦しめますね。TAROさんが言うように人の心の中はブラックですから。」


「そういう意味では、生きにくい世の中なんだなぁ。」


「TAROMANの人気に再度火がついたのも、今の時代を憂う人々が多いってことですよ。」


「TAROMANは昭和の鼻たれ小僧たちの心を掴んいたけど、令和のクールな人々にも受け入れた理由はそこにあったのか。」


「明日の深夜、第6話がありますよ、楽しみですね!」

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