第109話 新TAROの土器ドキ放談

「TAROさん、縄文土器や土偶について、最近新説が出てきたことを知っています?」


「ダイラくん、そこに触れるかい?そのことをいつ言われるかドキドキしていたんだよ。縄文土器や土偶は植物や貝類の精霊をかたどったものという説でしょ。」


「TAROさんは、生前、縄文式土器と弥生式土器を比較して、軟弱で平坦な思考回路でつくられた弥生式土器をディスっていましたよね。」


「それを言わないで。だって、縄文式土器に触れたら、興奮するだろ。ガッちゃガチャな形態に潜む、無限のエネルギーはアバンギャルドだ。血が滾る呪いの儀式にこそ、アートマンは宿る!」


「TAROさんは、パリで秘密結社をつくって、森の中で危ない集会に参加していたとか。」


「あんときは悩んでいたんだよ。パリで個性的な連中と接していたら、自分は天才だと息巻いていたけど、急に自信が無くなっちゃった。」


「TAROさんでもそんなこと思うんですか?」


「実はナイーブだよ。ピカソに会っちゃったら、皆、やる気無くすよ。部活にメッシやマラドーナが入部してきたら、部活辞めて応援に回るでしょ。フツーは・・。」


「人間自信を失くすと、現実から離れた未知なる世界に身を投じたくなるもんなのですね。高学歴の人々が怪しげな宗教に入り世間を騒がしたという話も昔ありました。」


「心が弱っている隙間に入り込むんだよ。パリから日本に帰ってきたらさ、侘び寂びだの、仏教美術だの、カビ臭いんだよね。ダッサイんだよ。どれもこれも。オレはこのかび臭い美術界で生きていくのかと思ったら、再びゲンナリしちゃったんだ。」


「戦争で召集されて、くっだらない軍人画や戦争画も描かされただろ。ほどほど日本人の気質が嫌になった。」


「パリで圧倒的な個性に出会い、自分を見失いそうになった経験から、TAROとして生きていくためには、環境を全否定しないと、個が立たないと直観したんですね。」


「そう、それで、祭りや呪術的な要素が形態として見て取れる縄文土器に注目したんだよ。日本人が崇める、かすっかすなウっすい侘び寂びの世界観とは真逆だろ、そこを否定することが、自分自身の昇華でもあったんだ。」


「ピカソがアフリカ美術(プリミティブ)に傾倒したように。」


「パリではさ、プリミティブブームが来ていたんだよ。オレもブームに乗ったんだ。」


「でも、最近では、日本の侘び寂びが、ジャパンクールと言われることも・・。」


「もし、今生きていたら、侘び寂び最高って言っていたかもしれない。」


「波に乗ることが大切なんですね。」


「最近、TAROMANに火が着いているんだろ。オレの主張は、今の人間にハマると思うんだ。未来を見ながら、作品を作っていたからね。混沌とした時代にはピッタリさ。」


「TAROさんが生み出した奇獣たちは本当に魅力に溢れていますよ。」


「だろ、形態はプリミティブだけどね、呪術や祭式、呪いみたいな縄文の要素を入れたつもりだけど、植物の蔦や種、貝の妖精なんだよね。今の人たちから見れば・・。」


「自然が身近にあった縄文では、植物や種がモチーフになることは必然かもしれませんね。燃え滾るような思考から生み出された抽象形態では無かったかもしれませんが、ナチュラルでいいんじゃないですか。」


「芸術は身近だ!みたいな・・。迫力に欠けちゃうね。」



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