第79話 中流アウトサイダー

「ダイラさん、私、先月、個展をやったんですけど、評論家みたいな人に、君はアウトサイダーだって言われました。どういう意味ですか?」


「簡単に言うと、いるってことだよ。」


「え!現代美術の流れを勉強して、作ったんだけどなぁ。外れていたんだぁ~。」


「でも、誉め言葉でもあるかもよ。正規の美術教育を受けていない、現代が求めるアートから逸脱しているなんて、狙ったところでできるもんじゃない。」


「高校は美術部、美大予備校2年、美大に6年通ったんだけどなぁ。個人的には村上隆をイメージして作ったんだけど。」


「・・・・。まぁ、人の見方は色々だから、気にしなくていいんじゃないかな。」


「でも、正規の美術教育って言っても、何が正規だか分からないですよね。」


「そうそう、そこの線引きが難しいんだよ。フランスの画家ジャン・デュビュッフェが1945年に、強迫的幻視者や精神障害者の作品をアール・ブリュット(生の芸術)と呼んだんだ。これ、昨年夏にあった展示会のパンフレットだよ、見てよ。」


「確かに!固定概念から突き抜けた、個性が輝いている作品が多い。私の作品がアウトサイダーと言われる意味も分かるかも・・。」


「1972年にイギリスのロジャー・カーディナルという美術評論家がアウトサイダー・アートという言葉を用いて、精神障害者以外にも主流の外側で制作する人々を含め、その概念を拡張したと言われている。そのカテゴリーにプリミティブ・アートや、民族芸術、心霊術者の作品も含まれるようになった。」


「やっぱり、主流があってこその、アウトサイダーなのね。だけど、主流なのかアウトなのか微妙な人がアーティストに多くないですか?」


「やっかいな問題なんだ。美大に入ったからと言って、本当に正規の美術教育を受けているかと言われると素直に頷けない。」


「大概、人の話に耳を傾けないタイプが多い。美大というにいるだけで、独自に学んだり制作する人々がほとんどな気がする。」


「職人さんの世界のように技術や表現を師匠から盗むことはあるかもしれないけど、独自性を出すためには、教育の範疇を超え、個人のに頼っている部分が大きい。」


「ゴッホやムンクのように精神が崩壊する寸前まで自分を追い込み、謎の表現が生まれたりもする。でも、彼らは、アウトサイダーの定義から外されている。独学画家ルソーも違うみたい。主流を狙っていたが、主流じゃなかった人は、アウトサイダーカテゴリーに入られない。」


「そうすると、主流とアーリュブリット&アウトサイダーの境界線が更に曖昧になるりますよね。本人の主張いかんで変わるから。めんどくさい話ですよね。じゃぁ。分けなくってもよくね?って話になりますか?」


「まぁ、アート自体に明確な分類を求めるのは、鑑賞者の意識を引き付ける手法の一つだからね。分類された瞬間に見えてくる色や形があるから、アートの一つの楽しみ方として、そっとしておくものなのかもしれない。人の心を揺さぶる作品に本当はカテゴリーなんて必要ないし、作り手には関係ないかもね。」


「私の作品もアウトサイダーというラベルを貼られた瞬間に、価値がするかもしれませんよね!」


判官贔屓ほうがんびいきという人間の心理を突く言葉があるくらいだから、次の個展には、世間の関心を引くドラマを創作しておいた方がいいかもね。」


「ぬくぬくと育ったことが、アウトサイダーとしての欠点!みたいな?」


「あぁ、家庭で普通に育ったことが人生の汚点と言っていた、みうらじゅんだね。」





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