第48話 ヘタウマ学科の灯
ダイラはたまに、デザイン科の学生が主に利用する食堂Bで、ラーメンを食べることがあった。
食堂Bを利用するデザイン科や建築科、映像科の学生とは、サークルが同じで知り合いも多く、交流する意味もあった。
ファインアート系の学生の生態に興味がある、冷やかしの仲間も多く、ダイラは洞窟の奥底で僅かな炎の灯を頼りに、制作する原始人のように思われていた。
「ね~ダイラくん、彫刻科の人たちって、普段、仁王像とか作っているの?」
「その質問は、完全におちょくっているよね。ムサビの彫刻の学生が仁王像つくると思っているの?あーゆうのは、藝大生の分野だよ。」
「それは、作れるけど作らないのか、作れないから作らないのかどっち?」
「オレは興味がないから作らない。作ろうと思えば、作っちゃうかもよ・・」
「仁王像って運慶・快慶の作品なんでしょ。THE彫刻で、かっこいいよね。」
「でも、あれが本当にかっこいいかは、何とも言えないな。
「ああ、ヘタウマってことね。リアルでマッチョな彫刻がベストじゃないんだね。」
「円空や木喰は、一本の木からノミ一本で仏像を彫っちゃうんだ。しかも、ザクっとした大まかな形態で見せる、当時では珍しい存在だったらしいよ。だから、あまり、評価は高くなく、庶民に愛されるタイプで、一般家庭の軒下に放置されていたものが、戦後見つかり、再評価されたんだ。」
「ゴッホやアンリ―ルソーみたいな日曜画家的な人だったのかしら。」
「海(芸術)の
「話題性って、芸術の世界では死活問題なんだ~」
「人の感覚って、結構曖昧だから、偉い人や影響力がある人の意見を信じる癖は古今東西、時代を超えてあるよね。それと、その時代の人々の無意識下で欲しているモノにカチッとはまれば、ボーンと弾けることは間違いないと思う。」
「それは大手広告代理店が仕掛ける仕組みだね。私たちから見ると、彫刻科の人たちのデッサンや彫刻作品は、ヘタウマの分野に見えるけど、失礼かな。」
「クライアントありきのデザイン仕事とは違うからね。彫刻は製品じゃなく、ハートだから。ヘタは誉め言葉だよ。」
「ウマいか、ヘタかなんて、そもそも芸術には関係ないかもしれない。ピカソなんかは、ヘタに描くことを人生の目標にしちゃってたし・・。視覚芸術には、その辺の自由があるからこそ、裾野が広がっているともいえるしね。現に、中・高時代、美術の成績が2か3でも、堂々と美大生を演じている人もいるし、日曜画家が世界中に溢れかえっているのも、そこに理由がありそうね。結局、何を描いても作ってもOKっていう時代になっちゃったんだ。国民総芸術家って、どこかのアーティストが言っていたなぁ。」
「まぁ、アーティストがこの世には多すぎる!と嘆き、アーティストを辞めて美術教育論を始めたフランツチゼックやハーバードリードは100年前の人だからね。そう考えると、芸術無法時代が現代なのかもしれない。それはさておき、視覚芸術はヘタウマでもいいけど、味覚は美味い方がいいのは、不思議だね。ここのラーメンは、東京のラーメンは絶対にうまい定説を覆して、あまり美味しくない。芸術感覚に寄せているのかな・・。」
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