第45話 顔面芸術論①

「ダイラさんは、何で顔を作らないんですか?」


「クワヤマダくん、いい質問だね、顔って人間のモノの見方や価値観の象徴みたいじゃない?」


「ダイラさんの表現は、人間の価値観を超えたところにあるって感じですか。」


「そこまでとは言わないけど、顔があったら、すでに人間の創作物っぽじゃん。」


「確かに、異星人は地球人の顔なんか作らなそうですもんね。人間をつくるとしたらどんな形になるんだろうか。」


「形を作る概念すらないかもよ。人間は元々、フィギュア好きだろ、それは、一説には自我があるからと言われている。」


「自我・・?」


「自分のことは、自分しか知らないということと、自分のことは他人の方がよく分かっていることのジレンマに陥ることあるでしょ。高層ビルから下界を見たときに、人間がアリのように見えるけど、細かく蠢く人間たち一人ひとりに自我があり、それを遠くから見つめる自分にも自我がある不思議さを感じるでしょ。」


は自分を見つめる媒体とも言えますね。」


「顔を作るってことは、自分を振り返る装置なんだよね。だから、目的が人なんだよ。よく知っているはずの自分だけど、フィギュアを見ると、もう一人の自分を意識するんだ。」


「実は、人間に自我がある理由って、よく分かっていないらいしですよね。」


「小さな子どもは、自分と他者の区別がつかないみたいだよ。だから幼い子は、友だちが怒られていると、自分も怒られている気持ちになる。ちょっと昔の日本人にも自我という概念は無かった。自己主張とか、個性とかは、西洋文化から入ってきた輸入概念で、日本人は、個人より集団としての自分の方が強かったみたいだよ。」


「個性は、日本人にあまり馴染まなかったんだってことですか?」


「日本の個性教育は世界から遅れをとっているなんて、軽々しくいう人がいるけど、そもそも、日本人は個性なんか重視していないんだよ。」


「少数民族が故の本能レベルでの戦略的思考なのでしょうか。」


「だから、顔面を表現する作家は、個性を出してくるんだけど、鑑賞者は個というより、自分を見つめるもう一人の自分と解釈する。神と捉える人もいるだろうね。」


「太陽の塔、アンコールワットのバイヨンの微笑み、ムサビの後輩にも自分の顔作ったヤツいたなぁ。」


「バイヨンはカンボジアだけどね。江戸時代にカンボジアに行った武士がいたんだけど、バイヨンの微笑みを見てびっくりしたと思うよ。」


「顔は一個で完結しちゃうけど、モノに宿る神の顔は無限ですもんね。八百万の神々ってね。」


「やっぱり、顔を作るのって、何だか、恥ずかしい感覚があるんだよなぁ。でも、いつか作ってみてもいいかもね。」


「ダイラさんが顔面つくったらどんな風になるんだろう。面白そうだなぁ。」








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