第34話 穴の空いたコン・ドーム

美大や藝大を目指す人々は、多浪TAROが当たり前の時代だった。


人生の後半や、死後に評価されることが多い美術の世界では、ネズミの時間と象の時間くらいとまでは言わないが、一般の予備校生とは時間軸が違っていた。


浪人中に結婚して赤ちゃんを見せてくれる人もいた。


多浪中に就職して、合格したら、退職する人もいた。


そんな中、ダイラもある程度は腹を括って、予備校1年目を迎えた。


両親は建築家であり、天性の空間認知力に秀でていたダイラは、建築業界を勧められたが、ダイラは首を縦には振らなかった。


された建物を作ることに疑問があったからだ。


それと同じく、多浪をして、石膏像やモデルをデッサンし、技術や質を高めることにも違和感があった。


ダイラの頭の中には、がすでにイメージとしてあった。


高校3年の文化祭で発表した演劇が、過激過ぎて(第6話)、以降、創作した戯曲を発表することが禁止され、未完のまま、卒業を迎えてしまったのだ。


戯曲の題名は「コ〇・ドームのない、プラネタリウム」だ。


この戯曲も、内容的に発表は難しいと、周囲から囁かれていた。


チームで創作する面白さを感じてはいたが、自分の熱い思いをぶちまけるためには、一人で戯曲の続きをやってみたいという思いが膨らんでいた。


美大で作るものは、戯曲に出てくるだった舞台美術の延長にしたいと考えていた。


少年時代、近所の仲間と、遊びでガラクタを集めてを作った。


ダイラは、先頭に立って、ガラクタを器用に組み立てた。


ダイラの兄は、制作過程から、仲間と車に乗り合う姿を全て8ミリで撮り、テレビ局にそのフィルムを送った。


子どもの日の特集番組に、ダイラたちは呼ばれ、インタビューを受けた。


一番年下で、引っ込み思案だったダイラは席の隅っこで、伊丹一三(後の十三)さんという当時俳優業をしていたインタビューアーを目の当たりにして、口を開いたまま驚いていた。


車を作る過程や、皆で乗り合ったことなどの、話の展開は、おしゃべりが得意な仲間たちがかっさらっていってしまった。


ダイラは少し引いた視点で、一三さんのインタビューに答える仲間や、車を動かす映像を見て、感心する大人たちの反応を観察していた。


大人たちは、子どもが作った車に興味があったわけではなく、未完成な車を手で押し駆け回る子どもらしい姿に感動し微笑ほほえんでいたのだ。


必死こいて未完成な姿を晒す行為は、人の心をホロホロと動かすことに気が付いたのは、この時の経験がきっかけだった。


以降、ドームのないプラネタリウムには、ドームが無い。マジカルミキサーは、タイヤがパンクしている。コンタクト・ドーム(略してコンドーム)の天井は未完成のまま・・。


長い年月人の生活を支える建築物、完成され熟練したデッサンは確かに凄いが、人々の心をヒラヒラと動かすには、人間らしいが必要不可欠であると悟ったのだ。


ゲリラ的なポンコツハウスやウマヘタデッサンに、シンパシーを感じていた。


欠陥は、一つの装置である。


2000年から作り始めた、穴の空いたコン・ドーム以降、多くのアイデアや、様々な人たちとの出会い、ユニークなコラボレーションが大量に生まれた。














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