タロウとダイラ
第31話 ダイラなカオス
読売アンデパンダン展はカオス中のカオスで1963年に幕を閉じた。
反芸術、ネオ・ダダイズムは一見カッコイイけど、何でもありの無法地帯になる。
エログロナンセンスからの腐り芸が致命的となった。
うどんを腐らせることは、反芸術なのか。
誰でも出品できる自由表現の場だったが、自由ほどの恐怖はない。
人は好奇心のお化けであり、大義名分があれば、何でもすることが、このアンデパンダン展で実証された。
★
ダイラが思春期を迎える頃には、アンデパンダン展で好き放題やらかしたアートの残骸が街中のデパートの一角で展示されていた。
パンダがいるのか?ハイレグセンター?
ハイレグセンターではなく、ハイレッドセンターだ。
1964年の東京オリンピックを前に警戒が強まる東京の路上で、秘密組織的な印象を漂わせた行動を起こしたり、過度に公的機関の重要事業を装ったりと都市を撹乱したアート集団だ。
ダイラは、白衣を着て、路上を掃除する写真を見て、ハイレグではないことを知った。
メンバーは高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之。
3人の頭文字高(ハイ)赤(レッド)中(センター)でハイレッドセンター。
その中でも異彩を放っていたのが、赤瀬川原平だ。
名前に平がついている人は特殊なタイプが多い。
高校の美術部の先輩は、ダイラを
岡本一平、赤瀬川源平、市川平
一 川 平 市川平
偶然ではなく必然?
岡本一平は天才太郎の父親である。
一平の理解不能なところは、妻かの子のボーイフレンド二名と同棲したり、欧州旅行へ行ったりしていたこと。
「人の一生」という人生教訓の漫画を描き切る程、洞察眼が鋭く、人間の性質を熟知していた。故に、人間とはそんなものよと、達観していて、自由でいられたのかもしれない。
岡本太郎に「芸術は爆発」を無意識レベルで植え込んだ父親だ。
太郎は、自由な父と母のもと、現代で言えば虐待に近い生育環境であっただろう。
芸術家で大成する人の多くは、幼少時代にトラウマを抱えていると言われる。
太郎は爆発寸前の幼少期を過ごしていたのかもしれない。
赤瀬川源平は、日本を代表する前衛芸術家であり、随筆家である。
中学になってからも、夜尿症が治らず、胃腸が弱い人だった。
便秘と下痢を繰り返した人生だったそうだ。
見た目は、か弱そうだが、反骨精神旺盛で頭脳は明晰だった。
読売アンデパンダン展で作った、巨大な千円札が偽札偽造の疑いで起訴され、有罪になった。それ以降前衛芸術からは離れた。
この人はただでは起き上がらない、
おつうじに願いを込めていたかどうかは分からない。
そして、ダイラ・市川平は、そんな数奇な運命をたどるとは知らずもがな、平なようで平らでないヒラヒラ舞い踊るストーリーを思い描き、演劇の台本をシュコシュコ書いていた。
1976年 村上龍「限りなく透明に近いブルー」
1977年 池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」
1980年 尾辻克彦「父が消えた」
時代は、美術野郎が小説を書き、評価される謎カオスな時代に突入していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます