タロウとダイラ

第31話 ダイラなカオス

読売アンデパンダン展はカオス中のカオスで1963年に幕を閉じた。


反芸術、ネオ・ダダイズムは一見けど、何でもありの無法地帯になる。


エログロナンセンスからのが致命的となった。


うどんを腐らせることは、反芸術なのか。


誰でも出品できる自由表現の場だったが、自由ほどの恐怖はない。


人は好奇心のお化けであり、大義名分があれば、何でもすることが、このアンデパンダン展で実証された。


ダイラが思春期を迎える頃には、アンデパンダン展で好き放題やらかしたアートの残骸が街中のデパートの一角で展示されていた。


がいるのか?センター?


ハイレグセンターではなく、センターだ。


1964年の東京オリンピックを前に警戒が強まる東京の路上で、秘密組織的な印象を漂わせた行動を起こしたり、過度に公的機関の重要事業を装ったりと都市を撹乱したアート集団だ。


ダイラは、白衣を着て、路上を掃除する写真を見て、ハイレグではないことを知った。


メンバーは高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之。


3人の頭文字高(ハイ)赤(レッド)中(センター)でハイレッドセンター。


その中でも異彩を放っていたのが、赤瀬川原平だ。


名前にがついている人は特殊なタイプが多い。


高校の美術部の先輩は、ダイラを揶揄からかう。


岡本一平、赤瀬川源平、市川平


一 川 平  市川平

 

偶然ではなく必然?


岡本一平は天才の父親である。


一平の理解不能なところは、妻かの子のボーイフレンド二名と同棲したり、欧州旅行へ行ったりしていたこと。


「人の一生」という人生教訓の漫画を描き切る程、洞察眼が鋭く、人間の性質を熟知していた。故に、人間とはと、達観していて、自由でいられたのかもしれない。


岡本太郎に「芸術は爆発」を無意識レベルで植え込んだ父親だ。


太郎は、自由な父と母のもと、現代で言えばに近い生育環境であっただろう。


芸術家で大成する人の多くは、幼少時代にを抱えていると言われる。


太郎はの幼少期を過ごしていたのかもしれない。


赤瀬川源平は、日本を代表する前衛芸術家であり、随筆家である。


中学になってからも、夜尿症が治らず、胃腸が弱い人だった。


便秘と下痢を繰り返した人生だったそうだ。


見た目は、か弱そうだが、反骨精神旺盛で頭脳は明晰だった。


読売アンデパンダン展で作った、巨大な千円札が偽札偽造の疑いで起訴され、有罪になった。それ以降前衛芸術からは離れた。


この人はただでは起き上がらない、尾辻おつじ克彦と言うペンネームで「父が消えた」を書き、芥川賞をとる。


に願いを込めていたかどうかは分からない。


そして、ダイラ・市川平は、そんな数奇な運命をたどるとは知らずもがな、平なようで平らでない舞い踊るストーリーを思い描き、演劇のをシュコシュコ書いていた。


1976年 村上龍「限りなく透明に近いブルー」

1977年 池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」

1980年 尾辻克彦「父が消えた」


時代は、美術野郎が小説を書き、評価されるな時代に突入していた。

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