ダイラダボッチ

第21話 シンゲキの巨人

彫刻科敷地内には、誰も近寄りたがらない「置き場」という、作品置き場があった。


人体彫刻が主流だった頃に、まるで放置された死体が積み重なっているように見えたため、つけられた名称だ。


彫刻科学生は、基本的に人間の闇や影・死、エグイ内面を穿りえぐほじくることが好物である。


しかし、つくり終えたには目もくれず、年々、卒業生の置き土産が溜まっていく悪循環があった。


バブル期、使用目的も深く吟味されず、大きな施設や博物館が地方で多くつくられたことが問題となっていた、ハコモノ行政。


いつしか、人体彫刻から抽象造形の作品が増え、死体置き場には大きな箱のような作品が溢れかえり、と呼ぶ学生も増えてきた。


ダイラの作品は、ハコモノ置き場には入らないくらいサイズだった。


ダイラはアーティストとして生きていくことを覚悟していたため、長野の山奥にあった知り合いの土地を借り、作品を収納した。


卒業生の置き土産は、迷惑行為ではあったが、ハコモノ置き場を見ると、彫刻科の歴史が垣間見れるメリットもあった。


新入生は、課題のネタに困ると、ハコモノ置き場を荒し、持ち主不明の作品を、切り貼りし、色を変えて提出するやからもいたが、大体がバレた。


数年に一度、持ち主不明の作品は、ブラックホールと呼ばれる、とにかく何でも捨ててよい業者のコンテナーに放り込まれ、ゴミ処理場で粉砕され、となる。


たまに、卒業後作家として有名になり、置き土産を回収しにくる先輩もいたが、時すでに遅しということもあった。


世界で活躍するアーティストのは、幼少期から作品が保管されている環境をもつ運命が付随する。時代の有象無象うぞうむぞうに左右されず、本のしおりのように、時代をまたぐことが可能であるのだ。


ダイラにはそのが備わっていた。


幼少期から青年期にかけて制作した作品群は、に保管され、昭和・平成・令和とを繰り返した。


ハコモノ置き場には特例もあった。


マジモトさんという助手だけは、学生時代からのテラコッタ作品が、ハコモノ置き場に長らく置かれていた。


マジモトさんは、だから、なんだよということが噂されていた。


芸術祭で男神輿が禁止された年、輿というテイでコッソリ神輿を出したことがあった。


大学側の人間だったはずの、マジモトさんがふんどしで神輿を担いでいたことはだった。


その後、神輿を禁止し、貧乏学生の自由を奪った大学側の人間代表として、彫刻科のSMお嬢から、後夜祭の深夜、説教&されていた。


鞭打ちされている最中、マジモトさんに若干ことは伝説として語り継がれている。


笑劇の巨人マジモトさんは、学生に愛され、以降半永久的に、マジモトさんの作品だけは夢の島へのは渡されなかった。






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