【1-6】

「お粥……、粥って、やっぱり馴染みが無いのかな? えぇと、米……、いや、ライス……じゃないんだよね、この世界では、えーっと……」

「ラコイのことでしょうか。こちらの粒状の穀物ですね。でも、これからはミカさんの言葉で呼んでくださって大丈夫ですよ。えぇと……コメ、でしたか?」

「うん、米だけど……、でも、僕がこっちの言葉を覚えていったほうがいいよね? もしくは、前任の人たちが使ってた英語……いや、イングリッシュだったら、僕もある程度は分かるし」


 いまだに状況が飲み込みきれているわけじゃないけれど、この場において自分が異分子だと理解している。だからこそ自ら提案した僕を優しく見下ろしながら、カミュは穏やかに首を振った。


「いいえ。少しでもミカさんが過ごしやすいようにしていただけたほうが、こちらとしても望ましいですから。前任の方も人間としては長生きされましたし、ミカさんも何十年も此処で過ごしていただくことになるでしょう。最初に嫌な印象を抱いた場所に長く居るのは辛いでしょう? ただでさえ慣れない土地で、初めて遭遇する種族の同居人がいるというご不便を強いているのですから、譲歩すべきは我々のほうなのです」


 この悪魔は、本当に優しい。

 まだごく短時間しか一緒にいないけれど、強くそう思う。彼は表面的に親切ぶっているのではなく、僕の目線や立ち位置に合わせて歩み寄ろうとしてくれている。僕を食事係に据えるにあたっての損得勘定が何かあるのだとしても、カミュの気遣いが胸に沁みた。


「ありがとう、カミュ。正直なところ、こちらの言葉に合わせてもらえるのは、すごく助かるし嬉しいよ。だから、その厚意は喜んでお受けしたい。……でもね、すぐには難しくても、僕も君たちの言葉や環境を分かるようになっていきたいな。長く一緒にいることになるなら、時間を掛けてお互いに歩み寄っていけたらいいなって思うんだけど……、どうかな?」


 我ながら珍しく、本音を隠さずに言えたと思う。此処に来る前──つまり、生前の僕は、常に人の顔色を窺っていて、正直な気持ちはなかなか口に出来なかったんだ。

 僕の言葉を聞いたカミュは、嬉しそうに破顔する。


「それはとても素敵な考えですね、ミカさん。ありがとうございます。貴方にとってはわけの分からない状況でしょうが、前向きに考えてくださって本当に嬉しいです。ぜひ、ゆっくりとお互いを分かり合っていきましょう。私も、最大限のお手伝いをいたしますので」

「う、うん……、とりあえず今は、ミルク粥を作ろうか。魔王様がお腹を空かせているんだもんね」


 自分の本音を温かく受け入れてもらえて、なんだかくすぐったい。その照れくささを誤魔化すように、僕はカミュの手から瓶を受け取った。牛乳っぽい液体がたぷんと揺れる。


「そういえば、ミカさんが仰っていたガユ……とかいうのは何ですか? 料理なのですね?」

「僕の暮らしていた国では、お粥って呼んでいたんだけど……、前任の人たちは、この米を水なんかと一緒に柔らかく煮たりしていなかった?」

「いえ……、ラコイもといコメは、あまり使われていませんでした。時々、肉なんかと一緒に辛く炒めたりしたものはありましたが……、煮ているものは無かったと思います。少なくとも、前々代以降は作っていませんね」


 カミュは僕の言葉に寄せつつ、丁寧に答えてくれた。

 そうか……、米はあまり馴染みのない食材で、だからこそたくさん残っていたのかもしれない。小麦粉っぽいものと比べて見ても、五倍くらい多く残っているもんな。


「米とミルクしか使わないから見た目は地味だけど、お腹に優しいから、しばらくまともに食べていなかった人にはちょうどいいんじゃないかと思うよ」

「お腹に優しい、ですか。なるほど、急に強めの料理を口にするより、優しいものを食べたほうがいいのですね?」

「うん、たぶん。魔王様がどうかは分からないけど、さっきカミュは魔王の器になっているのは人間の肉体だって言ってたよね? 普通の人間の胃腸で考えると、空腹が続いた後に重たい料理を食べるとおなかが痛くなったりするから」

「なるほど……、人間の身体は本当に繊細ですね。勉強になります」


 謙虚に言って軽く頭を下げたカミュは、次にわくわくとしたように声を弾ませた。


「そのカユというのは、ミカさんの得意な料理なのですか?」

「いや、そういうわけじゃないし、ミルク粥は作ったことないんだけど……、でも、一度だけ食べたことがあって、そのとき僕は身体も心も弱っていたからね、それを作ってもらえてすごく嬉しかったんだ。……魔王様も喜んでくれるかどうかは、分からないけど」

「いえ、今ここにある食材の中では、それが最善の一品のように思います。今の魔王も、まさに心身ともに弱り果てておりますので。ミカさんの優しいお気持ちも、きっと伝わるでしょう。私もお手伝いしますので、作っていただけますか?」


 カミュからのお伺いに対して頷くと、彼の漆黒の羽がご機嫌に揺れた。

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