【1-5】
一歩足を踏み入れた先に広がっていたのは、ファンタジー映画でよく見るような感じの調理場だった。冷蔵庫や電子レンジのような家電は当然ながら見当たらず、石窯や水瓶といった僕としては珍しい類の物が置かれている。そうかと思えば、動力が何かは分からないけれど、オーブンのような装置もあった。
「どうですか、ミカさん。お使いいただけそうですか?」
「あ、うん。僕の住んでた家の台所と比べたら物凄く立派だけど、使えないことはないと思う。……火を点けたり勢いを加減したりするのは、どうやってやるのかな?」
「それは私の魔法でご協力いたします。急速に冷やしたりも出来ますし、固めたりも出来ます。ちなみに、食材を腐らせないようにもしていましたよ」
「そうなんだ、カミュはすごいね」
「いえ、そんな……、大したことではないのです。そんな風に褒められると、照れてしまいますね」
気恥ずかしそうに頬を淡く染めている悪魔が、なんだか微笑ましい。知らず知らず無意識に緊張していた背から余計な力が抜けていくのを感じながら、僕は調理台と思われる場所に近付いて、側の棚を観察してみた。
「あれっ……?」
「どうしました、ミカさん」
「この世界って、英語を使っているのかな?」
調味料を詰めていると思われる瓶の蓋に、英語で種類が書き込まれている。塩や砂糖など、僕にも訳せる簡単な英単語で書かれているのはありがたいけれど、この世界に馴染みがある文字だとしたら何だか違和感がある気がした。
「エイゴ……とは、イングリッシュのことですね? これは前代の食事係が、自分の後継者にも伝わるようにと、アースに馴染みのあったものと近い食材にアースでの名前を振っていたものです。前任者いわくイングリッシュはアースで一番使用者が多いとのことでしたが、ミカさんもお分かりになったのですから本当にそうだったのですね」
「ああ、うん……まぁ、地球では共通言語の扱いだったかな。ただ、誰でも理解できるわけじゃないけどね」
「そうでしたか。ミカさんが判読できる方で良かったです。どうですか? ミカさんのお料理に使っていただけるようなものでしょうか」
「そうだね……」
改めて調味料や調理器具を眺めてみる。
調味料は表記通りなら、普通に使えそうなものばかりだ。ちょっと色味が独特な気もするけれど、味が同系統ならなんとかなるだろう。……たぶん。
調理器具も、どれもこれも木製や鉄製のようだけれど、鍋やフライパン、ボウルや泡立て器なんかが揃っている。カミュの魔法での火加減がどんな感じなのかが不明というのを考慮しても、食材次第で料理は可能なんじゃないかと思えた。
──そう、食材次第なんだ。
「うん、たぶん環境的には何とかなるんじゃないかと思うんだけど……、料理が出来るかどうかは食材にもよるかなぁ。さっき、食材を殆ど使っちゃったみたいなことを言っていたけど、今は何が残ってる?」
「ああ……、食材と申しますか……、ほぼ穀物なのです」
「穀物?」
「ええ。正確には、粒の穀物と粉の穀物です」
どういうことだ?
首を傾げる僕の背を軽く押しながら、カミュは部屋の隅へと誘導してくる。そこには、大きな麻袋のようなものが二つあった。それぞれ米と小麦粉を意味する単語が書かれた紙が、糸で括りつけられている。
「こちらの粒が、ラコイ。こちらが、ツムトの粉。前任者たちは、ラィスだとかフラウァだとかそんな呼び方をしていましたが、ミカさんはいかがですか?」
「僕がいた国の言葉では、こっちは米、こっちは小麦粉かな。……ちょっと変わった色味だけど」
小麦粉は、サラサラとした薄力粉のようだけれど、茶色がかっている。米の方はひとつひとつの粒がわずかに大きめで黄色っぽいけれど、日本で馴染みのある品種のものに近い形をしていた。
「色以外は変わりありませんか? 料理していただけそうでしょうか」
「えっ……、うーん……、米と小麦粉だけじゃなぁ……」
料理研究家とか調理師なら、材料ひとつからでもメニューを思いついたり新しいレシピを生み出したり出来るのかもしれない。でも、僕は自炊生活が割と好きだったというだけの男だ。食材の選択や組み合わせの幅がある程度あれば適当に作ることも出来るけれど、米だけ、もしくは小麦粉だけでどうにかしろと言われても難しい。ましてや、勝手が分からない異世界の食材が相手なのだから。
塩はあったし、水瓶に水があれば米を炊いて、塩むすびは出来るか……。いや、でも、見るからに洋風寄りの環境と思われる此処で、おにぎりなんて通用するか……?
「申し訳ありません、私が不甲斐ないばかりに……」
「ううん、そんな、カミュのせいじゃないよ。大雨で補給物資が届かなかったんでしょ?」
「それだけが原因ではありませんので……、って、あっ!」
「わっ、な、なにっ?」
項垂れていたカミュが、急に顔を上げて瞳を輝かせる。興奮した勢いなのか黒い翼がバサッとはためいたので、隣に立つ僕はビックリしてしまった。
「ああ、すみません。急に大きな声を上げてしまって。もうひとつ、食材と呼べそうなものがあるのを思い出しまして」
「ほんと? なになに?」
「カーシという動物の乳を沸かして裏ごしして冷やしたものです。前任者たちはミルクと呼んでいました」
「ミルク? ミルクがあるの?」
「はい。これだけは、私が自信をもって作成できる唯一の食材です。これだけは、きちんと作って、きちんと冷やして保管していました」
どこか得意気な面持ちのカミュはウキウキと手を翳す。すると、やや離れた場所にある木箱の蓋が開き、彼の手に牛乳パック程度の大きさの瓶が吸い寄せられていった。その中には、確かに牛乳のような液体が詰まっている。
「アースのミルクよりはほんのわずかに甘いそうですが、ほとんど違和感は無いと前任者たちは仰っていました」
「そっかぁ。牛乳……ではないんだろうけど、ミルクがあるなら、ミルク粥が作れそうだね」
「ミルクガユ……?」
不思議そうに首を傾げるカミュの紅い瞳は、期待でキラキラと輝いていた。
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