【1-7】
「じゃあ、早速作り始めよう」
ショールをカミュに返してスーツの上着を脱ぎ、シャツの袖を腕まくりする。少し寒いけれど、これから火を使うわけだし大丈夫だろう。
──さて。ミルク粥か。
ミルク粥は初めてだけれど、まぁ、なんとかなるかな。白粥と卵粥は何度も作ったことあるし、記憶を頼りにアレンジすれば大丈夫なはず。多少失敗したとしても、寝込んでいる魔王のためにもとりあえず何かを作らなければいけないのだし、頑張ろう。
「カミュ。煮込むために使う鍋と、火の扱い方を教えてもらってもいい?」
「かしこまりました。鍋は……、ああ、しばらく使っていませんでしたから、埃が溜まっていますね」
手を翳して大きな鉄鍋を吸い寄せたカミュは、指を振ってどこかからか発生させた水で鍋を綺麗にして、やっぱり謎の風を吹かせて乾かした。そして、それを洋風の囲炉裏のようなもの(中世モノのファンタジー映画なんかでよく見るやつだ)へ大鍋を掛ける。
一般家庭の鍋とは思えない大きさだ。給食とか飲食店とか、そういう場面で使われていそうなサイズだ。……魔王様って、けっこう大食い?
よく分からないけれど、この世界の一食分の基準もよく分からないし、多めに作ろうかな。ファストフードだって国によって大きさが全然違ったし、異世界ならなおさら、そのあたりの常識が違っていてもおかしくない。
「火は私が魔法で点けます。もっと強くとか弱くとかご指示いただければ、その都度調整いたしますので」
「そっか、すごいねぇ。魔法って使っていて疲れないの?」
「人間たちは魔力に限りがあるようですが、私や魔王はほぼ無限に使用できますね。ですから、魔法を使っていて疲労を感じることも、ほぼありません」
「えっ? 普通の人も魔法を使えるの?」
「はい。この世界では、どんな人でも魔力を持っています。とはいえ、一般人はそこまで力が強いわけではありませんから大した魔法は使えませんし、長時間使うことは出来ませんが。つまり、ミカさんのように魔力が皆無の人のほうが珍しいのです」
地球では魔法使いを名乗れば変人扱いされるか冗談だと思われるかだろうけれど、この世界では僕のほうが少数派なんだ。──そう考えると、なんだかほんの少しだけ居心地の悪さを感じてしまった。だからといって、嫌というわけでもないけども。
「ミカさん? お顔が曇りましたが、どうかされましたか?」
「あっ、ううん。なんでもないよ。……よし、まずはお米と水を量ろうかな」
心配そうなカミュの視線を振り切るように首を振り、手近な棚から木製の湯のみのようなカップを手に取る。そして、米っぽい穀物が詰められている袋へと近づいた。
カップいっぱいに米を掬い取ると、察したカミュがそれを魔法で大鍋へ移してくれる。便利な能力だなぁ。
何杯分か米を量った後は、水瓶へと向かう。その中には、僕の目論見通り綺麗な水が張られていた。
「さっきカミュは魔法で水を出していたけど、料理に使うのはこの瓶の水でいいのかな?」
「はい。魔法の水が不衛生と云うわけではないですが、そちらの水のほうが良いと前々代の食事係が仰ってまして、前任者もそうされていました」
「そっか。じゃあ、僕もこれを使わせてもらうね」
米と同じ杯数分の水をカップで量り、カミュに鍋へ入れてもらう。そして、僕はおたまのようなものを見つけて手に取り、鍋の前へ移動した。
「じゃあ、カミュ。火を点けてもらってもいい?」
「かしこまりました。どのくらいの強さで?」
「最初はぐつぐつさせたいから、けっこう強めでいいよ」
「承知しました」
強めと伝えて業火を出されたらどうしようかと一瞬考えたけれど、彼は長年に渡って食事係のサポートをしているのだし、そんなことはしないだろうと思い直す。予想通り、カミュは適度な強火にしてくれた。
「カミュ、火加減上手だね」
「お褒めにあずかり光栄です。前々代から手厳しく仕込まれましたので」
彼の言葉を聞く限り、前々代の食事係はけっこうな拘り派だったように思える。そのおかげで調理場が整えられたり、食材に英語表記がされたりと、後継者にとっては非常にありがたいのだけれど、カミュにも大きな影響を与えていそうだ。
「……ミカさん。貴方はミルクガユを召し上がったことは一度しかないとのことでしたが、それでも明確に作れそうな料理なのですか?」
「失敗するんじゃないかって心配?」
「いえいえ、そうではありません。ただ、一度しか口にしたことのない味をそんなにはっきりと覚えていらっしゃるものなのか、と不思議に思ったものですから。純粋な興味です」
皮肉や嫌味ではなく、本当に気になっているだけなんだろう。カミュの紅い瞳には、悪魔のくせに何の悪意も滲んでいない。
「僕だって、一回食べたものを全部完璧に再現するのなんて無理だよ。そんな能力があるなら、料理人とか目指していたと思うし。……でも、ミルク粥だけは特別なんだ。僕が初めて、……たぶん、赤ちゃんの頃のミルクを除けば生まれて初めて『おいしい』って感じた料理だったから」
複雑な生い立ちを思い出しながらの言葉は、ちょっと歯切れ悪くなってしまう。そんな僕を探るように見つつ、カミュは言葉を選びながら問い掛けてくる。
「……ミカさんにミルクガユを作ってくださったのは、どなたですか?」
「お母さんですか?」とか「親御さんですか?」とか訊いてこなかったのは、僕が天涯孤独で家族もいなかったと話したからだろう。
少しふつふつしてきた鍋の中を見つめつつ、僕は静かに答えた。
「……僕を、育てようとしてくれた人」
「ミカさんの……育ての親、ですか?」
「うーん……、そうしてくれようとしたけど、出来なかった人。……僕を引き取って、十日くらいで亡くなっちゃったから」
出来るだけ声が暗くならないように言ったけれど、それでもカミュは相槌も打たずに絶句した。
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