帰り道

 東京が、こちらが生活の拠点となってからおよそ2か月が経っている。三年間寮生活をしていたからだろうか、とくに何も思うことはない。自分で食べるものを作らなければならないというのが一番の悩みどころである。引っ越してから散歩が好きになった。その散歩に自分でルールを作った。それは、携帯を持って行かないこと。付随して、イヤホンを持って行かないこと。散歩を始めてからしばらくはずっと耳にイヤホンをつけていて、曲と、たまに車の音しか耳に中には入っていなかった。待ちゆく人に目を向けると、若い人なんかほとんどはイヤホンをつけている。歩くこと、電車に乗ることはただの移動で、彼らにとっては価値はなく、「曲を聞くこと」のほうが大事なんだろうなと思う。そんな感じで「去ってしまう」時間を無駄だと思っていたらなんにもならないさ。だけど自分もそんな感じで、もっぱらイヤホンをつけていた。でも、ここ1か月くらいはつけていない。最近は大学にも持っていかないようにしている。そういえば、先週1日だけ携帯を忘れて行ってしまったんだけど、なんとかなった。だいぶ焦ったけど。僕らに必要なものはきっと想像より遥かに少ない。


 帰り道、イヤホンを外そう決めたきっかけがあったんだ。僕の家から最寄り駅まで歩くルートに古いたばこ屋さんがある。そのたばこ屋さんにはたばこと、化粧品とジュースが置いていて、おなじみに旗が立っている。そのお店の前には灰皿が置かれている。僕が家に帰るのは、大学終わりとかサークル終わりとか、遊んできた帰りとかでだいたい22時とかそれより遅いくらいなんだろうけれど、驚くほどに人がいるんだ、そこに。体感では85%くらい。いない方が珍しいんだ。少し逸れるけれど、大学でたばこを吸っている人が多いのにも驚いた。喫煙所には人が多く集まっていて楽しそうにしている。大学は猶予期間で、おおっぴらにたばことか競馬とかパチンコに、好きなだけ行ける数少ない期間。社会が「まだ遊んでていいよ」と規定してくれているような時間。少し、正統から外れることも許される期間。僕だって、あと3年とそこらで社会人になって働かなければいけないのかもしれないって思うと、なかなかつらいんだ。


 話を戻す。その、たばこを吸っている人たちの音が聞きたかったんだ。大学じゃないよ、その古びた店前の。年寄りだったり、タンクトップを着ている年寄りだったり。もしくは僕くらいの年齢の若い人だったり、スーツを着た人だったり。「今帰ってる」って電話しながらスーツを着た30くらいの男性。家では子どもがいるから吸うなって言われてるのかな、そもそも禁煙を勧められているのに隠れて吸っているのかもしれない。おじいさんはみんな18時くらいには寝るものだと思っていたから、あの時間に吸っていた70くらいのタンクトップのおじいさんにあったのはびっくりしたな。それにしても、ベビーカーに2歳くらいの子を乗せて吸っているお母さんは大丈夫なのかな。


 やっぱり、人は繰り返しを生きていて、なにか失ってしまうとやっていけないんだ。その「心のよりどころ」が古びたお店の前の灰皿というのはなかなか美しいはなしじゃないかい?

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