栄光に羽ばたいて、さあ!

 150人くらいの生徒が、一堂に介していて、試験監督者が「解答はじめ」というと、一斉に紙を開いて、マークシートを塗っていく。整った紙と鉛筆が擦れる音。小学校くらいのときからずっとわかっていたが、初めて身をもって感じたのが今日だった。ときどき、試験官の先生どうしが小さな声で話しているのがなんとも不快だった。共通テストを受けてきた感想としては、英語Rが甚だ難しかったということと、どんな鉛筆を使っても大丈夫そうだな、ということだけだった。


 あの、後ろにいくに従ってだんだんと高くなっていく机と椅子も、あの、ひとつの机を受験生ふたりで使う構図も、テレビで見たことがあるだけだった。そして今は、「共通テストが始まりました。」というのと「台湾の総統選挙は与党の候補が当確です。」という無機質なニュースを聞いている。



 人生の中では、生きている最中では、自分は何をしていても、何もしていなくても時間は過ぎ去ってゆく。自分は常に受動的で、なるようにしかならないというような考え方も、そういえばそうなのだろう。なにをしても仕方ない。なるようにしかならない。「天命を待つ。」というのはいかにも投げやりすぎて、少しさみしくなったのかはたまた申し訳なくなったのか、「人事を尽くして」というような言葉がついた。しかし、自分の行動というのは、やはり自分がしていることだ。知りませんでした、では済まされないというのは事実だろう。うまくいったことに対しては、「自分のおかげだ」といって、失敗したことについては、「仕方なかった」という。それでいいのだ。


 多方向から解釈できるものごとの、いかに多いことか。だから、宗教というものが栄えるんだろう。どのようにも解釈できる。それならば、自分と、死後の自分が少しでも幸せでありますように、と。




 どうかみなさまに、幸がありますように。

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