如雫落

 生きていると、日々を過ごしていると、得ることもあれば失うこともある。実際、その日に起こったことは、一度寝てしまうともう8割方忘れている。それを特に悲しいことだとは思わない。穴の空いた箱があって、穴があって流れ続けているからこそ、新しく触れたものには感動を覚えることができる。本当に大切なものだけは、ろ紙のようなものがしっかりと機能して、残しておいてくれるとそれでいい。それでも、忘れてしまうことがある。たとえ「本当に大切」と自分が思っていたとしても。ぼんやりと頭の中に像が浮かぶだけで、もうどうしようもない。その「大切なもの」とはなんだったのだろうか。人か、物事か、主義主張か、感情か。もうなにも思い出せない。ただぼんやりとだけ「ないのにある」という感じだけが残っている。


 その一方で、忘れようとして、なにかを忘れるときもある。しかし、これが例えば「苦しい記憶」だったりすると、忘れようとすればするほど記憶には刻み込まれてゆく。簡単なことで、本当は忘れたくないからだ。逆に成功体験とかは、忘れやすかったりする。いちいち過去の成功に囚われずに、新しい成功をせよ、という人類の叡智からの命令だろうか。優越感に浸っていることすら簡単ではないらしい。まあ、特にいいことはないから。


 その、「忘れようとしたもの」は、本当に忘れていいものだったのか。「大切」ではあるけれど、生きづらいから、みんなに合わせるため、こんな自分勝手な理由で「大切」が失われていては、きっとそれは浮かばれまい?



 今考えてみると、やはりわからない。この一瞬だって絶えず頭から何かが零れ落ちている。穴が大きい箱ではやっていけないし、穴がない箱ではやっていけない。じゃあ、どうすれば。一度零れ落ちたものを拾い集める努力をする? 小学生のときに、一番大事だと強制された落ち穂拾いを思い出す。他には? 



 今まで、数え切れないほど多くのことを忘れてきて、また、その分積み重ねてきた人生だろう。これからは、零れ落ちない努力をするか、拾い集める努力をするか、綺麗さっぱり、あるがまま変わっていく自分を受け入れるのか。どれが一番幸せな生き方なのだろうか。

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