第61話 無題 2022.7.22
趣味は?
これにはなんて答えようか。僕は、今まで趣味という趣味を持ってきていなかったような気がする。まあ、音楽を聞くとか本を読む、と答えておくのが無難だと思う。今までもそうやって答えてきた。好きな歌手さんとか、読む小説家さんとかもころころと変わる。だから、今まで芯が通って「好き」ていうのがあまりない気がする。なんでも好きって言ったら聞こえはいいけど、なんかふわふわしているような気がする。話を戻して、僕の趣味はなんだろうか。本来の話とは逸れるかもしれないが、僕が暇なときに何をしているか考える。
僕は落ち着かない人だと思う。じっとしているのがあまり好きではない。それと効率を求めているような気もする。だから、勉強もしないのに机の前に座っていることはできない。なんか変な感じがする。上手に説明ができるとは思わないけど。ぼーっとしていると、今何をしているんだろうという疑問が思い浮かぶ。それで、この何もしていない時間になにか別のことをしようという気持ちになる。何もしていないのなら本を読む、宿題をする、寝るなどだ。僕は本質的に時間を浪費することができないのだろう。まあ、いい。「時間の浪費」には当たらないだろうが、僕は風呂に入るのも寝ている時間もできる限り短く済ませたい。話を戻すと、僕は暇だからといってぼーっとはできない。「落ち着かない」というのはおっちょこちょいみたいな言葉で形容される。そして、それは世間一般的にはいい意味で捉えられないはずだ。ただ、僕の中学の道徳の授業で欠点を長所に言い換えようという授業があって、それではどんなことでもいいように言い換えられる。それが正しいことかどうかは置いておいて、「おっちょこちょい」は「いろんなところに気が配れる」とか「好奇心がある」というように言い換えられる。僕も、そう言い換えてかんばっていきたい。
毎日、同じことを繰り返しているようだ。それで、行き着く先は安定。人はみんなそれを求めている。感情の、行動の動きの波がぴったりと止まるのは「死」であると思っている。人がみんな行き着く先はそれだ。まあ、いくら同じことを繰り返して生きているといっても、まったく波が立たない人はいないだろう。「波が立たない」ことがいいことなのかはわからない。ただ、いつもと変わらない生活を繰り返すというのは間違いなくおもしろくないことだ。安定していても、僕の場合は変化を欲する気がする。ただ、変わるということが痛みを伴うというのはもちろんのことで、いくら変化を欲していたとして、変われる人はそうそういない。一日の中で、少しくらいは昨日と違うことをしたい。通学路を変えてみるとか、少し早めに寝るとか、少しづつしかできないだろうし。まだ、「安定」して「波が立たない」ように生きていくことはできない。
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