第60話 自分を!

 明日、学校に行けばもう夏休みだ。しかも、明日は40分授業で、午前中に終わるだろう。夏休みは33日あって、約去年の倍の日数、休めるということになる。ただ、楽しみなことばかりではないというのも、それはもちろんそうだ。たしかに、夏休みは楽しみだけれども、全てが希望で満ち溢れているというわけでもない。それはいつでもそうかな。今となっては、「たくさん遊べる」というより「勉強をしなければ」という気持ちが先行してしまっているのだと思う。まあ、それも仕方ないといえば仕方のないことだ。長期休みで、勉強の計画を立てたとしても、それを実行できたことがない。一言日記とかも、最終日にまとめて書くタイプだ。だから、休みの最終日が一番やることが多くて、充実してたっていえば、そういうことになるのかな。夏休みなんかは、「時間を浪費している」感覚がすごいするものだ。なんだか、いたたまれないような感じになるが、その時間は無駄なものとは思えない。最近書いた記憶があるが、「孤独」というものは虚しいものではない。友達がいない人の言い訳、と捉える人もいるかも知れない。僕は、友達はいると思ってるんだけどね、まあいいか。


 「自分を見つめ直すこと。」

これはいったい、どういうことだろう。「自分探しでカンボジア行ってきました!」

大学生とかがこういうのを言っているのを、聞いたことはないかな。大学生の一人旅なんてただの旅行だろ、と突っ込みそうになるが、実際「何を得たか」はその瞬間ではわからないこともあるだろう。例えば、僕の場合だと小学校のころの「水泳記録会に向けた練習」なんかがそうだろうか。当時はしんどいとしか思ってなかったし、楽しさとか意味とかも見出だせていなかったはずだ。それは別に当然のことだろうと思う。今勉強が楽しいかと聞かれても、首は縦には振りにくい。でも、このことは意味があるとは思っている。だから、将来何らかの役に立つために今がんばるというのは納得ができることだ。少し前に戻って、「自分探し」とはどういうことだろう。文字通り解釈することができるけれど、じゃあそれはどういうことだろう。また、「自分を見つめ直すこと」と「自分探し」というものは同じものなのだろうか。もちろん、両方とも「自分」というとても不思議なものについて考えているという点は共通している。そこで、これまた文字通りに考えてみる。では、「自分を見つめ直すこと」これは、僕が見つめる「自分」というものはすでにそこにある。行動の対象がすでに存在している。ただ、今まで考えたことがなかった、あるいは、目を背けていた自分の欠点などについて深く考えること。「自分探し」の「自分」というものはそこにはない。僕の行動の対象は未知のものである。「新たな自分探し」と呼ぶことも可能であろう。いたって単純な考え方なのだが、これはこれでいいと思う。本当に「自分」というのは不思議なもので、僕が見つけられていない部分というのがきっと大量にあることだろう。しかも、そのほうが多いとも思う。だから、楽しいのではないか。わかりきっていることを探し求めるのは有限だ。学校で習っていることも有限だ。以前、無限、永遠が必ずしもよいものじゃないと僕は思うと、書いた記憶があるがそれは置いておこう。僕が、「自分」をどれだけ見つけることができるかはわからない。16年生きて、この文章を書いて、一割くらいは見つけることができたかな。まあ、別にいいや。「人生」とはなにか、との答えは大量にあるが、その答えのひとつに「新たな自分を見つけ出すこと」を含めていいんじゃないかな。

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