第58話 無題 2022.7.19

 できない、ではなくしていない。やろうとしていることは実際にはやりたくないこと。こういうことも溢れている。僕はただ、ただただ書き連ねていくだけ。心が満たされると感じるのはなかなか難しいことだと思う。最近は何をしても無気力で、感動しない。「何かをしたい」ではなくて「何もしたくない」夏休みが来ることだって、何か勉強とか、遊びとか充実したことができるだろうから嬉しいとかではなくて、義務がなくて「何もしなくていい」から楽しみみたいなものだ。そうだ、僕はなにもしたくない。ただ、机に向かってぼーっとしているだけとか、いつもより早く寝るとかいうことはできない。スマホでアプリを開いては閉じ、音楽を流し始めても曲が終わる前に切り、本も数ページだけ読んで閉じる。「何もしたくはない」けれど「何もしない」ということはできない。というか、何もしていないとは思っていても、「何もしない」ということをする、みたいに意味のわからないことになってしまう。詳しく考えると考えるほど、僕は何もしないということはできないというのがわかってくる。これは、人間に「意義」を与えてくれた神様の厚意なのか、いたずらなのか。考えてみると、心が最後に「完全に」満たされたと感じたのはいつだろう。そもそもそんな日があるのか確かではない。生まれて以来あるのかな。何かをして、幸せでも必ずどこかは欠けている。まあそもそも「完全」がないのだから至って当然のことで、それを嘆くのは仕方のないことで、それこそ時間の無駄なのかもしれない。ただ、それでも「満たされない」ということはいいことであるはずがなく、心は傷ついていく。満たされないのはわかっていても、完全は目指さなければいけないと思う。完全というのは「理想」だ。僕は、その「理想」を目指すことすらも「理想」に含まれると思う。それに向かって行動しているとき、僕たちは間違いなく「理想」の中にいる。ただ、理想は必ずしも楽しく、幸せなわけなんかない。世界だって、何か政策を採ったとき、全員が幸せになれることはない。どこかの立場は弱くなってしまう。僕は優しい人間ではないから、自分の幸せをまず考える。その幸せを目指し続けるのが僕の人生で、僕の人生は理想で包まれているということになる。だから、そもそも完全、つまり「理想」がないのだから僕は空想だけを追い求めている人生ということになる。まるで、永久機関を作るのに、錬金術を見つけ出すのに一生を捧げた科学者のようだ。僕はその人生は決して悪くない、むしろいいと言いたい。僕がそうできるわけではないのだけれど。僕の心は常に満たされない。一生そんな気もする、とても虚しいことだが僕にはどうしようもない。どこか幸せでも、そうじゃないところが併存している。心の幸せが目に見えてわかるのなら、箱のようなものなのであれば、必ずどこかに穴が空いている。誰か、誰か...

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