第50話 無題 2022.6.2

 嫌なことで溢れている。


 溢れてはいなくとも、少しばかりそういうのが重なればそう感じてしまう。

感じ方が決める部分が大きいというのは何度も言っていることだ。ただ、いろいろなことをそれだけのせいにすると、運任せにしているのとなにも変わらない気がする。実際そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。できれば断言は避けたいというのは日本人に多い考え方らしい。


 フリコに踊らされた街、いつ滅んでもいいと思う。というやつか。


 自分のことを人のせいにするのは簡単なことなんだけれども、これも馬鹿らしいのでやめておこう。一昨年の保健の授業で、欲求不満の人が取る行動について勉強した。昇華とか、代償とかいろいろあった。まとめると、足りないことに対して努力したり、気持ちを切り替えたり、責任転嫁したり、諦めたり、ものに当たったり、本当にいろいろだ。責任を自分で取れというのとは少し違う気もするが、自分の感情なんていうのは自分ではわからないかもしれないが、それ以上に他人にはわからないものなので、自分でどうにかするしかないということも多いと思う。それが責任を取るということなのか。行動だけじゃなくて感情にも責任を取れというのは無理な話だ。さっきも言ったとおり、感情にはもちろん理由はあるけれども、その過程は自分ではわからない。刹那的な時間の思考回路を考えてもなにもわからない。人に対して、自分が持ってはいけないと思う感情を持ってしまったとする。その責任は僕が取らなければいけないのだろうけれども、やっぱりそれは難しい。なにか、具体的な行動にでなければいいんじゃないかと思うこともある。他人からしたらそれでいいんだろう。僕はどうやらそうとうに変な人のようで、人に対する行動、嘘などはもちろんのこと、その人や周りのものごとについて思った「感情」の面すらも律してしまうらしい。ちょっと考えただけでわかる、生きづらい。感情はどうしようもないと散々言っているのに。だからこそ「自分が」と、責めやすくなるんだろう。



 久しぶりに「あとがき」を書く。

普通、そういうものはだいたい全部終わってから書くものなのかもしれないけれど、今さらそんなことを言ってもどうにもならないので書く。理由は単純で、50回目だからだ。キリがいいから。今まで、何話目にこういうことを書こうとか考えたことはない。言えば、今回がこういう内容だったのもただの気まぐれだ。「運命」ではなくて、「選択の交わり」というのは何回も言っていることだ。先ほどとは矛盾するが、50回記念になにかしようか、一日限りの物語でも投稿しようかと思っていたけれど、「無題」に作り物をもってくるのはなにか合わない。それで、構想だけをねっていた「InsPirATioN」を独立させて、「Attitude」として投稿した。それを記念としておく。いくら他の物語を書き始めても、「無題」は向き合う姿勢が違うし、持つ感情も違う。ここでは僕は自由でいられる。それが嬉しい。最後に、読んでくださっているみなさんに感謝して終わるとしよう。



 大丈夫、心配ないよ。大勢が傷つくだけ。

 直に朝日が差す。人を朝日が刺す。

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