第48話 無題 2022.5.31

 今日は5月の最終日だ。あれだけいろいろ心配していた新学期も、もう2か月が終わろうとしている。時の流れが早すぎるというのはよく聞く言葉だが、今回は別にそんなことを言いたいわけではない。


 今日は雨だ。昨日の夜は晴れていたので窓を開けたまま寝た。網戸は、虫が入ってくるのが嫌なので閉めておいた。朝、起きたら雨が降っていた。どんなに体が重くても雨には反応してくれたようで、すぐに閉めた。机の上においていた紙類が若干湿ってしまって、気分は少し曇った。やっぱり閉めて寝たほうがいいんだろうけれども、僕は暑いのは嫌だから。暑いのも湿るのも嫌というのは、僕は熱帯では生活していくことはできないのだろう。いつもは、ここは瀬戸内海気候だからそんなに雨は降らない。夏も冬も大して雨は降らないのは、湿ったのが嫌いな僕からしたら嬉しい。それが当たり前だと思っているから東京とか、ほかにも日本海側に住むことは難しいんだろうなと思う。ただ、すべてのものごとには「慣れ」がある。大切で、不思議で、恐ろしいものだ。それでも、住めば都とはよく言ったもので今となっては慣れない寮生活も当たり前になった。それがいいとか、そういうわけじゃない。そうなったという話だ。


 今日は内科検診があって、聴診器をお腹にあてられた。毎回思うんだけれど、あれはなにを聞いているのだろう。十秒くらいあてて異常があるかどうかわかるのだからすごい人だなと思う。聞いているのは心臓の音かな。なんでかは知らないけれども、僕の家には聴診器がある。子どものころはそれでいろいろ遊んだりしてみたものだ。つけているだけで耳が痛くなったのを覚えている。聴診器に向かって自分で叫んだりしてみたものだけれど、相当耳がびっくりしたのを覚えている。数分くらいは耳がいつもの働きをせずにボーッとサボっていた。もうやらないようにしよう。お医者さんが聞いているのは心臓の音、すなわち命の音。命というのは漠然としない。道徳の授業とかで、「命」という言葉が使われるとき、それはなにを示しているのだろうか。それが心臓とかいうあまりに無機質なものだと少し悲しくなる。もちろん、命が心臓であるというのは間違いないけれども。やっぱり、僕は断定することを恐れている。命というのは、すなわち、自分が生きて存在していることを表しているのかな。漠然としているのは、それはそうだ。「命とは〇〇です」みたいにはっきりと言われても、それはそれで困る。じめっとした、僕の好きでない空気のまま終わるとしよう。

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