第46話 無題 2022.5.29
僕の文章を読んで、おもしろいと言ってくれる人がいる。
本当に嬉しいことだ。自分を卑下したり、進んで過小評価するのはよくない。なにも生み出さないから。それでも、おもしろいと言われたときは違和感が出てきたのを思い出す。どっちにしても、自分が納得していればそれでいいと思っている。小説家さんは大衆に向けて書いているのかな。それでも、究極は自分のためなのか。僕にはわからない。僕はこの「カクヨム」でふたつの話を投稿している。それぞれ、気に入っている人がいて、本当に嬉しい。小説家さんの一番嬉しい瞬間っていうのはこういうときのことを言うのだろうか。数人からそう思われて、僕はだいぶ嬉しいのだから、それが何万人ともなると、もう測りきれない。
この無題も、もうすぐ50話が近づいてくる。だいたい2か月くらい前から書いている。まだ飽きない。少し、嫌だと思ったら一度離れてみる。そうするとまた書きたくなる。それを繰り返しているからなんだか続く。数が重なっていくのを眺めるのはただそれだけで楽しい。50回目になったら、記念ということでなにか変わったことをしたいと思っているが、なにも思いつかない。短編小説でも書こうかな。とんでもなく難しそうだ。
最近は、とてもあっさりと「無題」を書いている。あるテーマについて、特に深く考えているわけではない。エッセイ的な側面が多い。僕は「日常の中の哲学のような考え方」だと思って書いていることが多いけど必ずしもそうでないことが多い。今回も、最近あったことを書いて終わるとしよう。
僕は歩くのが好きだ。そして自然が好き。今日は歩いて砂浜まで行った。僕は愛媛県に住んでいることは明らかにしているので、ここでは松山市ということまで言っておこう。それで50分くらい歩いて行った。今回で行ったのは2回目だ。前回行ったときは曇りだったが、今日は晴れていたのでよかった。海と空がとても映えていた。帰りには伊予柑のソフトクリームを食べた。甘いだけではなくて、けっこう酸っぱさもあって僕が好きな感じだった。甘いだけのものはそれはそれで好きなんだけど、酸っぱいのが入っているのは刺激的だ。僕の友達になんでもポン酢をかける人がいる。
海は広いな、大きいな。
この歌はここまでしか知らない。だいぶ特徴的なメロディをしているとは思う。
動物のすべては海から来ているらしい。それで海を見ると懐かしい気持ちがするのかもしれない。さすがに遡りすぎか。僕は別に海を見てきて育ってきたわけではない。その市は海に面してはいるけれども。海水浴は体がベタベタするし、砂がまとわりつくのであまり好きではなかった。プールにはたくさん行っていたように思う。別に僕は山に行ったとしても、それはそれで感動するだろう。自然を愛でる、というのは少々かっこうつけすぎかもしれない。そもそも、自然は人間が一方的に愛でるものではない。話は変わるけど、どこかで読んだのだが、僕たちが一番身近にある自然というものは「自分」らしい。それはそうだ。僕ら人間は人工物であるはずがない。それでも、今まで生きてきた中でその認識が薄くなってしまっているのではないだろうか。自然を求めに山に行くのも、海に行くのも最高だろう。「自分」の中の自然を探し求めるのも楽しいだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます