第42話 無題 2022.5.25

 僕は今、この手を動かすことができる。驚くほど滑らかに。

 僕は今、この足も動かすことができる。細かい動きもできる。


 僕は小中と5年間剣道をしていた。手も足も細かな動きが要求される。

自分は今、どうやって体を動かしているんだろうなと、布団の中で考える。その気になれば生きていく上で必要な動きはだいたいなんでもできる。口を動かせば言葉を発することもできる。それも、考えると同時にといっていいくらい反映されるのが早い。びっくりだ。こちらが動きを伝えているのに、なんだか心を読まれているみたいでむずむずする。それは不思議なことなのか。そもそも「生きている」ということが不思議というのは僕が前々から思っていることだ。僕っていうのは、人生っていうのは、人間っていうのは不思議なことばかりだ。数学や英語でわからないことなんて比べものにならない。


 神様が、人間も他の動物と同じように作ってくれていたらどれだけ楽だっただろうか。そもそも全知全能の神がなんでも作ったというのはキリスト教の考え方だな。僕も詳しいことは知らないけれど、人間は進化してきたらしい。その過程で知性だったり理性だったり感情だったり、それこそいろいろと身に着けてきたんだろう。だから、今の僕がこうなのは「なるようになった」というしかないのかもしれない。ここでは別に、僕の細かな話をしているわけではないけど。どこかで書いた記憶があるが運命とかじゃなくてひとつひとつの決断、行動の結果で今に至る。


 例えばの話に意味はないと一般ではよく言われるかもしれない。歴史の授業中に「もし」の話をしても仕方ないだろう。ただ、作り話というのは楽しい。もし、人間が他の動物と同じような暮らしだったらどうだろう。そもそも人間は動物なんだけど。まあ、今の人間は自然の支配者になっているし(否定も肯定もしないけど)他の動物とは一線を画するというのははっきりしていると思う。ていうか、その他の動物と同じ暮らしをしている有象無象の動物に人間という名前がついているかもわからない。その世界は言葉のない世界という可能性も大きい。人間がなんで言葉を話せるのかは僕は知らないけれど、僕の考え方に基づいたらやっぱり、「なるようになった」という感じなんだろう。


 僕が生まれ変わりというものを信じるとしたら、また、人間として生まれ変わりたい。鳥になって空を鷹揚と飛びたいという人もいるだろうし、魚になって大海原を泳ぎたいっていう人もいるだろう。それは個人の勝手だから別に僕はどうでもいい。僕が人間として生まれ変わりたいという理由を探してみたんだけど、ぱっと言葉にできるものはあんまり思い浮かばない。長く生きられるからだろうか。最近は人生100年時代なんて言われるけれども、僕からしてみたら一年も経たずに尽きてしまう命というのはどうにも実感がわかない。その動物にしてみたらそれは至極当然のことで、別に驚くものでもないだろう。


 やっぱり、「視点」というものが決めるものは大きい。そもそも僕は人間の人生しか知らない。知っているとしてもほんのちょっとだけど。魚の気持ちになってくださいと言われても困る。



 最後に、しばらく途絶えていた僕の好きな歌詞を書くコーナーをしよう。

 (いつもと同じように句読点は勝手に僕がつけている。)



 

 次の標的に置かれた花瓶、仕掛けたのは僕だった。

 そう、君が悪いんだよ。僕だけを見ててよ。

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