第40話 無題 2022.5.10

 みなさん、お久しぶりです。二条奏です。


 しばらく休んでいたのにかかわらず、また、読んでくれているみなさんには感謝しています。なんせ、僕は高2生で勉強とかいろいろで忙しくなってしまって、毎日更新が難しいというのはご了承願いたい。あくまで、忙しいというのは言い訳に過ぎないのかもしれない。高2になって1か月くらいはずっと、毎日更新していたし。やっと、僕の飽き性が本領発揮してきたとでも言おうか。こんなの、作家さんが言ったらだめなことなんじゃないかな。実際、よく毎日あんなに書けていたものだと思うけど安住するのはよくない。常になにか変化、進歩を求めていきたい。なにも変わらないままじゃ、駄文を連ねているだけになってしまう。


 今日も今日とて書いていくのだが、いつものことで特に書くことはない。こういう宣言とかって、けっこう無茶苦茶で、小説なんかじゃできないよね。だって、いきなり作られた物語の中で、神様視点的な上からの話がきたらなんか嫌でしょ。その分、ここではなに書いても大丈夫だから「無題」のいいところだなって感じたりする。たくさんあるうちのひとつだけど。ここでも縛られるようになってしまったら、もう好きなようにやっていくことはできなくなってしまうよね。僕のいろいろな、あんまり直接的にはあらわにできないかもしれない感情を、ここに詰め込んでいくこととしよう。まあ、いつものことだ。


 春は天気が変わりやすいというのは本当だなと最近感じている。小春日和という言葉は秋ごろに使うというのはどうでもいい雑談だ。こういうのを言うと、さらっと受け流される人とか、ちゃんと反応してくれる人とかいろいろいる。まあ、突拍子のないことを言うのは僕の癖というかどちらかといえば性格なのでいたしかたない。


 何気ない会話、大したことないと自分では思っている雑談というのが、僕は得意ではない方だと思っている。YouTubeで見たのの中に、「プライベートに台本あるやつ」というのがある。僕もそうしようかなと思ったくらいだが、それはあんまりにも変な人なのでやめておこう。喋りすぎたり、黙りすぎたり、本当にバランスというのは難しいものだ。人との意思疎通って、言葉にならない身体言語とかもあるけど、やっぱり完全に伝わるものではない。かといって、会話で完全に意図が伝わるわけでもないけれど。ただ、会話というのが上手になれば人生は間違いなく豊かになると思うんだ。人がつながっているって、一番実感するのは「会話」だと僕は思う。単純に回数が多いというのもあるかもしれないけれど。そう、簡単なことなんだ。すること自体は。それが「どんなふうに」なのかとかいうことは置いておいてね。


 では、今日はこのあたりで終わりにさせてもらおう。最近は文字数がだいぶ減っている。ただ、一文を書く時間は増えている。だからといってより美しい文章かどうかなんていうのは自分ではわからない。最初のころよりかは、よくなっていたらいいんだけど。そういえば今日は記念すべき40回目だ。今まで読んでくれた方、一文でも目を通してくれた方に感謝したい。自分でも思うんだけど、「無題」の始まりの一話目がけっこう雑な400文字くらいな感じだったら、続き読もうとはなりにくいのかな。今さらどうこうできるものじゃないけど。「友達」くらいから読んでほしいものだけど、みんな一話読んで、もういいやってなったらたぶん、次にはいかないでしょう。つかみが大事っていうのはやっぱそのとおりなんだな。まあ、自分のために、そして読んでくれている人のために(ここで「自分」を先に出す人はなかなかいないだろうなあ。僕が変わっているんだろう。)これからも満足できるように書いていくこととしよう。では、さようなら。

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