第20話 言い訳

 人間は言い訳なしでは生きていけないだろう。

主語を「人間」とかいう、大きなものにしすぎると、おこがましく思えてくる。

それでも、「僕」は言い訳なしでは生きてはいけない。こういうものは他にもあるだろうか。僕の場合は、「嘘」か「言い訳」だと思う。「嘘」の場合は長くなるし、たぶんこの「無題」の中心になる話だ。それは、また今度機会があるときに書こう。

最近、そういうのが多い気がする。本当に書くのかはわからない。


 言い訳とはなんだろう。

 なんのためにするんだろう。


 人は絶えず決断している。一日で人が決断する数は35000回とも聞く。

その中には、即決できる決断もあれば、迷う決断もあるだろう。ときには、二択だったとして、どっちの選択をとっても、あとから後悔することもあるだろう。そのときに、自分を納得させるためにするのが「言い訳」。これでよかったんだと、言い聞かせて置かないと、いろいろしんどくなることもあるだろう。言い訳は、自分を守るためにあくまですることなんだ。あとから、やっぱ選ばなかった方にしといたほうが良かったって思うことは、必ずある。そのときに、選んだ方のいいところとかを必死に探すんだと思う。それで、本当に思っているかはわからない、メリットとかを口に出して、自分を誤魔化せているふりをする。そのときは、そうするしかない。常に最善の選択ができるわけない。そのときに考えていた最善と、あとあとでわかってくる最善がことなることも結構あるだろう。「言い訳」は悪いことではない。


 「言い訳」をするのは、自分を守るため。

では、「嘘」はどうだろうか。僕自身と嘘との関係については、また今度に書こう。

僕が嘘からできているということを。「嘘」をつくのも、目的としては「言い訳」とどこか似ていることがあるかもしれない。やはり、自分を守るため。友達と親とか、先生は騙せるだろう。お天道様も騙せることがあるかもしれない。現に、犯罪を犯しても捕まっていない人はいる。でも、自分だけは騙せないらしい。なにか、取り返しのつかないことをしてしまったと思いながら、一生を過ごさないといけない。なにかそういうことをしたときは、すぐに謝りにいくしかないと教わる。でも、その行動の「勇気」がなかなかでないこともあるだろう。というか、僕もそうだった。まあ、大したことではないと自分では思っているけれど、みんなそうなんだろう。ただ、負の意識をもったまま生活するのは相当に辛い。そう思わないのは、一部の変わった人だけのはず。「自分」以外は、嘘で騙すことはできても、「自分」を騙すことは決してできない。先生が、嘘をついてはいけませんって言うのは、そうすると自分が辛いと教えるためなのかな。


 今日はこの辺で終わらせてもらおう。これで、「無題」はちょうど20話になった。毎日の積み重ねだけど、こうして見ると嬉しいものだ。そして、閲覧数も250くらいになった。いつも読んでくれている人(何人いるのかな)、一文でも目を通してもらった方々に、本当に感謝したい。最近、ぼんやりと考えていることなんだけど、たぶんこの話の最終回は「無題」になるんだろう。いつになるかはわからない。というよりも、これは物語ではないのだから、最終回は僕がこの世からいなくなるまではないはずだ。まだ、16歳だから。大人になって、この「無題」のことを恥ずかしく思う日が来るかもしれない。僕が、文字を打つことができる最後の日まで、更新はし続けたい。60年くらいの連載か。まあ、そんなことはたぶん起こらないとは思うけど。いくら書いても、世界でもっとも長い小説にはかなわないだろうな。ということで、ありがとうございました。

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