第16話 「好き」って

 「君を好きだ」というのは側に居たいって意味で

 「君を好きだ」というのは僕の一部って意味で


 好きとか言う言葉に、正解はないのだろう。正解はなくても、それに答えを出すことはできるはずだ。これまでに、多くの人がというかほとんどの人がそれに意味づけをしてきた。そうしないと、生きていくことは難しいんじゃないかな。その意味づけが、自分の答えを形作るということ。上の二文は、僕の好きな曲の歌詞から抜粋してきたものだ。どちらも、僕が初めて聞いたときに、「ああそうか」と腑に落ちたものだ。これは、理解した、共感したというよりかは「拒絶しなかった」っていう感じだろう。ここで、僕の過去の恋愛を振り返るのは憚られる。ただ、高校生である僕には少なくとも今までに恋愛をしてきたことがあって、そのときから一年くらい時間が経った今、「好き」ということについて少し考えてみたい。完全なる気まぐれだ。


 すべてのことがそうだと思うが、歳を重ねるうちに考え方というのは変わっていくものだろう。当然、恋愛についてだとか「好き」ということについての感じ方、捉え方も小中学生のころ、今、未来では変わってくる。僕が今まで、そしてたぶんこれからも、文章を書くときに貫くひとつのことがある。それは、「今の一瞬一瞬が未来のすべて」だということ。上手に言葉にできないな。この言葉にすると、学校とかでよく聞くことだと思う。「一瞬一瞬を大切に」みたいな。そういうありきたりなものにならないように気をつけているんだけど、やっぱり難しい。なにが言いたいかというと、大事なのはその一瞬になにを思っているかということ。その積み重ねが未来を作っている。未来のことを悩んだところで、次はこうしようとか明日はこれをしようとか考えたところで、実際にそうなるかはわからない。それは無意味ではない。あくまで、人間はというか、少なくとも僕は今の一瞬の判断しか、自分の確実な行動に直結できないと考えているということだ。そんな不確実なことに神経を使いたくはない。ただ、それはあくまで僕の理想だから、実際にそうできているわけではない。だから、その一瞬に好きだと思えば告白したらいい。何回かデートを重ねるだとか、時間とか戦略を考えるのは、その一回の告白の成功率を上げるためにしているだけだ。恋は一瞬なもので、どのようなきっかけかはわからない。なにか、仕草を見て、「ああ好きだな」と思う。それで、恋は始まって、もう、燃え上がった。僕は恋は儚いものだと思う、そして一瞬のものだとも思う。長々と書いたけどまとめると、要するに「好きになって恋に落ちるのは一瞬」こういうことだ。儚くて美しい。桜のよう。


 恋愛は自然法則において無用


 長々と書いているが、分けたほうが良かったかもしれない。今さらそのことを言っても仕方がないので置いておく。まだ終わりそうもない。先ほど、僕は「好き」は「恋」のきっかけであるような書き方をした。これが合っているかどうかは、僕が死ぬ前に判断してもらうとして、少なくとも僕はそう考えている。現時点、この一瞬での僕の意味付けがそれだ。今の僕の答えを出したとも言える。これからは、というかこれまでもだけど、僕はそういう単純な考え方で居る。僕は今、16歳だ。この年齢で、本当の恋がわかったとはとても思えない。偏見だけど、同年齢で「恋とはなにか知ってる」みたいなことを言う人が居ても勘違いだって感じてしまう。だって、そういうのって死ぬまでわからないか、死んでもわからないものでしょう。上の文は、池田晶子さんの著書からいただいた。スパッと言い切っている。池田さん曰く、恋愛は自然の本能であるわけがない。もしそうだとしたら、恋愛の相手は誰でもいいということになる。僕は生物学者ではないし、哲学を極めているわけでもない。このように言い切る自信はない。ただ、聞いて納得した。恋愛のような心理的なことを、生物学というような科学的側面から学ぶと理解はしやすくなると思う。ただ、僕はあっけなく思ってしまう。僕の幻想を書いているだけなんだけれども、僕は、少しは「感情」の面から考えたいと思っている。そんな不安定な波のようなものからっていう感じだけれども、ここではなんでも僕の好きなことを書けるのでなんでも書いていきたい。

書こうと思っていることが変わらなければ、次が最後の段落になるはず。


 何回もいっているけど、僕は16歳で、そこまでなんでもそうだけれど、恋愛についても知っていることは少ない。感じたことも少ない。これは、自分に保険をかけているだけのようにも聞こえる。最初から思考放棄した、諦めたうえでの「わからない」と、十分に考え抜いたあとでの、やっぱり「わからない」は似ているようでまったく違うと思うんだ。結論だけ見ると同じように見えるかもしれないが、得るものとかはまったくののべつであって欲しいし、そうでなければならないとも思っている。恋をしているときの自分としたあとの自分は特に違うものではないと思っている。恋をしたあとっていうのは、振られたりしてなにかしら恋が終わったときのこと。別れたあとに、その人の短所とか嫌いなところが浮かんでくるのは、別れてしまった自分を守るため。だから、付き合っているときとか、恋としているときは間違いなく「好き」なんだ。思い込みとかじゃないはず、そう信じたい。その「好き」っていうのはそこまでだいそれたことじゃないんだ。そうじゃなかったらみんなできないでしょ。それこそ、一番最初に書いた二文の言っている通り。今まで恋愛をしたことのない人でも、「誰かの側に居たい」くらいは思ったことがあるんじゃないかな。別にそれが異性じゃなくても構わない。友達としての好きとか、恋愛対象としての好きとか、別々のように話されることがあるけれど、「好き」ってもっと単純なことのように思うんだ。「好き」には特に種類はないように思える。「好き」は、一瞬で浮かんでくる儚い気持ちだ。あとから「なんで」って考えてみても、なかなかわからないものだ。もうひとつ、「僕の一部」っていうのはなかなかわかりにくい。まるで自分のことを考えているように、相手のことを考えるということかな。僕でも君でもなく、「私たち」の幸せを考えることなのかな。その、主語が「私たち」に変わることが二人にとっては一番幸せなことらしい。ここまで書いてきて、どれくらい自分にわかったことが増えたかはわからないけれど、少しずつでいいから、焦らないでいいから「恋」という種を育んでいければいい。


 最後に、ここまで読んでいただきありがとうございました。

誰もが経験したことのあるであろう、「恋」についてここまで書いた。いつもはテーマなど決めず、ただただ書いているだけだったので、こういうふうにテーマについて書いたのは初めてだ。書き終わってから、結構時間はかかったし、考えるのも大変だったが書いていてとても楽しかった。これは、「無題」からとりだしてまたべつの話になるかもしれない。それとはまた別なんだけれども、近々、ラブコメを書くかもしれない。物語を書くのは苦手なんだけれども、そのときはそのときでがんばりたい。ある人に原案をいただいたので。なんと、3000字を突破しました。やっぱり、僕はまとめるのが得意じゃないんだなと思う。この文章の中だと、たぶん500字くらいあれば言いたかったことは書けるだろう。そこに至る過程とか、どうでもいいこととか付け加えていっちゃうからね。では、今度こそ終わります。さようなら。

 

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