第10話 無題 2022.3.31

 今日で三月も終わる。これは本当に月末に公開されるのだろうが、書いているのはその二日前だ。31日は思い入れが深いというかよく覚えている日だ。僕は、中二のときと中三のときは、この日が来ないことをどれだけ望んでいたことか。そのときはたぶん相当に悲しんだりしたりしていたんだと、今の僕は想像するけれども、今ではそういうこともあったなというように、ひとつの感情の起伏としてしか意識できていないのかもしれない。そのときは、たぶん、本当に今では想像できないくらい落ち込んでいたりしていたんだと思う。それは、そのときの僕もそう思っていたから。慣れって、なくては困って生きていけないものだと思うけれども、とても怖いとも思う。すべての変化が、「慣れ」でなかったことにされてしまう。中学のころは、たしかに楽しかったとは思うけれども、今ころはもう戻りたいとは思はない。卒業して数か月経ったころは、そう思っていた気がするけれども。それがいいことか、悪いことかどうかはわからない。自分が決めることなのかもしれない。決めるというか、あとからたぶん判断するだけなんだろう。そのときそのときに、事象としてものごとは存在するが、それに色づけていく、真実を形作っていく作業は、あくまで後から勝手に行うものだ。31日に、正式に中学生ではなくなったり、ひとつ次の学年に進んだりする。修了式はそれはそれでもちろんひとつの区切りだと思うが、4月に入るといよいよ前の年度が終わってしまったのだなという寂寥感と、次が始まってしまったという、よく言う期待感と大きな不安感が混ざったような感情の波が押し寄せてくるのだろう。三月は別れの時期、四月は出会いの時期とはよく言うものだ。その二つは比べるものではないのかもしれない。思い出は美しくなるものだから。今までの出会いと別れを少し振り返ってみよう。といっても、小中はあまり変わっていない。でも、クラス分けは結構つらかったことを覚えている。高校に入ったときも、結構いろいろと不安を感じていたのではないかなと思う。そもそも、すべては無から始まる。自分が好きだとかもっと一緒に居たいとかいう人が現れたらプラスになるんだ。それで、その人を失ったとしても、結局は無になるだけ。はじめから見たら、何も失っていない。その、プラスのときにその幸せがいつまでも担保されていると適当に勘違いしてしまう。そのプラスから無の差が激しければ激しいほど、もっと落ち込むことになるんだろう。その、わずかな幸せを、自分が得たものだと勘違いする。プラスの方がおかしい。でも、無では人は生きていくのはつらい。生きていける人は、少しは、本当に強い人はいるのかもしれない。大切なものは失ってはじめて気づくとか、幸せを当たり前に思ったらいけないとかはよく聞く言葉だ。たぶん、そうなんだろう。あくまで、普通なのは「無」の状態だ。いつも親とか先生から思い上がるなとか言われていたのはたぶんこういうことなんじゃないかな。常に「無」であれというのは謙虚とかいう考えに近いのかもしれない。でも、常に「無」を目指して生きていくというのは自分から幸せを追い求めていない、そうすると幸せからは遠ざかってしまうのではないか。だから、それを中心に生きていくというわけにはいかない。その考えを自身の中心に置いてもいけないし、それを忘れて生きていくのもよくないとしたら、いったいどうやって生きていけばいいのだろうか。高校生が、そんなのに答えを出せるとは思っていない。ただ、いつも多くの選択に迫られて中で生きている私たちは、それが正解ではなくても答えを出す必要があることはあるのではないか。でも、出した答えを実行できるわけではない。机上の空論だなんてよくある話だろう。出した答えが薄っぺらくても仕方ないとは思うけれども、いいとも思わない。だから、僕が最近していることは「無」を意識すること。そうしていると、ほんの少しのことでもありがたいって思えてくるんじゃないだろうか。まとめると、いいことが起こったとき、それはプラスの状態。もともとは「無」であり、何もない状態。だから、誰か仲いい人と疎遠になったとしてもそれはもとに戻っただけだと考えたら少しは慰めになるんじゃないかな。僕もそう思い込んでいた。だからといって、無に積極的にするのがいいわけじゃない。人と離れたりすることは当然悲しいことだ。でも、実際の話で、悲観的とかいうわけじゃなくて人は、別れるために出会ったりするらしい。人生が短いというのは有名な話だ。その中で進学とか、違う地方に行ったり就職したり、死別したりするのだから、一生好きな人と居られる方が珍しい事態だろう。読んだ本によると、僕たちは「最良の別れ」に向けて付き合っていかなければいけないらしい。その、避けようのない別れをいかに満足して迎えられるか。今でも、すでに会うのが最後って人がいるかもしれない。そんな別れのことを考えると、どうしても寂しくなって、いつもは考えられないけれど避けることはできない。僕がお世話になった先生の好きな四字熟語は「一期一会」らしい。いい言葉だ。今からの、そしてこれからの別れが少しでもいいものでありますように。それを決定するのも判断するのも自分だ。いうのは簡単だが、ひとつひとつのすべての出会いとか事象に感謝できるような人になりたいものだ。そういうのの積み重ねが、後の後悔を少しでも減らしてくれるんじゃないかな。では、今回はいつもより少し長かったと思いますがありがとうございました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る