第一章 突然の求婚者⑤



「申し訳ありません!!」

 上官とのあらためての顔合わせ。結蓮ゆいれんゆかひざまずいて第一声をり出した。

 誤解ごかいしたとはいえ上官を投げ飛ばして失神させたなんて免職めんしょくものだ。多少のことはおそれない結蓮もさすがに冷やあせをかいていた。

「いいのよぉ。どうせすえちゃんが変なことしようとしたんでしょー? いきなり押したおしたりとかくちびるうばったりとか。困った人よねえ」

「おいおい。俺の印象いんしょうがさらに落ちるようなうそをつくんじゃねーよ」

 上座にある寝椅子ねいす陣取じんどった次官どのが扇子せんすであおぎながらまゆをひそめる。格闘かくとうした時の名残なごりかそれとも寝癖ねぐせなのかかみの毛がはねまくっている彼を、結蓮はそっと見つめた。

 少しつり目がちで冷たそうに見えるが、端整たんせい面立おもだちの美丈夫びじょうふといっていいだろう。半端はんぱな長さの髪はわずにそのまま遊ばせているし、だらしなく着崩きくずしたほうがやけにさまになっているあたりも、朝廷ちょうてい官吏かんりというよりはどこぞの遊び人の公子という感じだ。

随分ずいぶんお若く見えるけれど……。本当にこの人が次官どのなのかしら)

 封陰省ふういんしょう次官といえばまぎれもない朝廷の高官の一人なのだが、目の前にいる彼からはとてもそんな威厳いげんは感じられない。見た目も、態度も、口調もだ。

ほう舎人しゃじん、ほんとに気にしなくていいのよ? あれくらいでぶち切れるような心のせまい男じゃないから。ね、季ちゃん?」

 見た目に合わぬ女性じみた言葉づかいでとりなす彼に、湯吞ゆのみをかたむけていた次官どのがこちらを見る。いやに真剣しんけんな顔つきだ。

「当たり前だろ。女の子に足蹴あしげにされるのは俺の趣味しゅみだ。もっとやってほしかったのに、博士はかせ邪魔じゃまするから」

「いやーん。相変わらず変態へんたいねー」

「…………」

 なんだかおかしなところに迷い込んでしまった気がする。

 やはり左遷させんかと思いなやむ結蓮をよそに、次官どのは一転して愛想あいそ良くみを向けてきた。

「ま、そういうことだから、ほんとに気にしないでいいから。お役目熱心な子が来てくれて俺はうれしいよ、うん!」

 上機嫌じょうきげんでうなずくと、それじゃあらためて、と彼は軽く会釈えしゃくする。

「封陰省次官、たちばな季隆すえたかです。──ははは、まあそんなキツネにだまされたみたいな顔しないで。一月前に任命されたばっかりだけど一応本物だよ。ほら、身分証」

 彼の示した玉牌ぎょくはいはまさしくそのとおりの位階を表している。結蓮はなおも半信半疑ながら急いで礼をとった。

「──失礼ですが、次官どのはれん国のご出身ですか」

 名前の読みがこうと違うことに気付いてたずねると、彼は少し目を細めて微笑ほほえんだ。

「そうだよ。俺だけじゃなくこの書庫づきの封陰官はみんな留学生だ。今は俺たち二人しかいないけどね。で、こちらがその貴重な一人、りゅう博士。文献ぶんけんの研究や薬品の管理を担当してる」

「よろしくねー」

 劉博士が小首をかしげて手をる。その仕草は本当に可愛らしいのだが、見た目はやはり堂々たる男性だ。

「あー大丈夫だいじょうぶ、この人ちょっと中身が乙女おとめなだけだから。こんなんだけど可愛いよめさん持ちだからね。──で、これは俺の従者の翡翠丸ひすいまる

 湯吞みをぼんせて運んできた少年が、ぺこりと頭をさげる。十四、五歳ほどだろうか、綺麗きれいな顔立ちだがいやに無表情だ。

「以上がこれから君の同僚どうりょうになる面々だ。って言っても翡翠丸は書庫から出ないし、劉博士は後方支援しえん担当、つまり事務方だから、実質ここで今動けるのは俺だけなんだ。それでなくても封陰省は人手不足ですけを呼べない。そこで君に来てもらったってわけなんだよ」

 真面目まじめな顔で話を進めつつも、季隆の手は団子を取り分けるのにいそがしい。

「あ、この前の任務先でお礼にってもらってさ。君も食べる?」

「……いえ、結構です」

「そう? 甘ったるくて最高に美味うまいんだけどね~」

「……あの、話を進めてもよろしいでしょうか」

 どうにもこののんびりとした雰囲気ふんいきに慣れず、結蓮は当惑とうわくしながら申し出た。軍規でがちがちにしばられていた柚梨ゆうり軍とは天と地ほども差がある。

「助っ人……とおっしゃいましたが、封陰省とは無縁むえんの柚梨軍から私が選ばれたのはなぜなのでしょう? それに、封陰省は大きな官府のはずです。人手不足といっても一人も余裕よゆうがないものですか? 一体、私がここへ呼ばれたのはどういう理由があるのです?」

 回りくどいことは言ってほしくなかった。左遷させんなら左遷で理由が知りたいし、そうだとしたらそれなりに心を決めてつとめを果たさなければならない。失礼ながらこの部署は、表の官界からすべり落ちた人の落ち着き先のような──そんなうらぶれた印象があるのだ。

 ふふっ、と季隆が笑みをこぼす。少しつり目がちなせいか、本人にその気はないのだろうがちょっと意地悪な笑顔に見えた。

「不満そうだね」

 結蓮は軽くこぶしにぎる。彼自身には不満もうらみもないが、不本意なのは事実だった。

「……私の職務は太子殿下でんか近衛このえです。それをはなれることについてはまったく納得していませんから」

「ふーん。真面目まじめなんだな。──おっと、そんなこわい顔しないで。め言葉だ」

 軽く手をあげて制すと、季隆は竹串を皿に置いた。

「質問に答えるよ。まず一つ目。君は太子殿下のご命令で妖怪ようかい退治に出てるだろ? それも一定の成果をあげてる。ま、借金もすごいみたいだけど──その豪腕ごうわんを見込んでってとこだね」

 言いながら彼は劉博士に手で合図を出す。彼がすばやく巻物を広げた。

「二つ目。封陰省は確かに大きな官府だし、所属の術師も大勢いる。ただし、今はほぼ全員がとある任務についていて出払ではらってるんだ」

「そんなに大規模だいきぼな任務が?」

「うん。実は──」

 季隆は深刻な顔で言いかけ、ふいにがくっとうなだれた。

「ちょ……劉博士、代わりに説明してやって。久々に真面目なことしゃべったら疲れたわ」

「もう、どんだけひ弱なのよっ」

 寝椅子ねいすにだらりともたれこむ季隆を見て結蓮は目を見開いたが、劉博士は慣れているのか「しょうがないわねえ」と言って後をいだ。

「任務っていうのは、皇后こうごう陛下へいか快癒かいゆ祈願きがんのことなの」

 はっと結蓮は息をむ。その話は先ほど演習場で耳にしたばかりだ。

「実はね、これはただの快癒祈願じゃないの。皇后陛下の結界をく術式なのよ。封陰省がほどこした結界の中で傷をいやしておられたんだけど、その結界を解く期日がせまってきてね」

 それは公式に発表されているものとはまったく異なる告白だった。皇后は五年前から療養りょうよう中ということに表向きはなっている。

おどろかないのね。知ってたの?」

 意外そうな顔でかれ、結蓮は首を振る。

「いえ……でもそういうことではないかと想像していました。あのお怪我けがは療養したくらいで癒せるものではありませんから。特殊とくしゅな術でもかけなければ……」

 ──一度は冥府めいふへ下りかけた人のたましいを、この世にとどめることはできなかっただろう。

「……そうか。君も五年前の現場にいたんだもんな」

 だまっていた季隆がふいにつぶやいた。ちらりと彼を見た劉博士が、気を取り直したように続ける。

「じゃあ話は早いわね。皇后陛下の結界を解く術式は大がかりな上に難しいものなの。長官をはじめ封陰省の術師が大勢駆り出されてるのよ。そのうえ、所属術師の二割をめてる留学生が次々に故国へ帰ってしまったの」

「何かあったのですか?」

「国に変事ありってしらせが来たんだけど、詳細しょうさいはわからないわ。で、残ったのはわたしたちだけってわけ。なのに大変なことがわかってねえ、困ってたのよ」

「つまり……、皇后さまの快癒祈願で手薄てうすになる封陰省において、別の任務をお手伝いするわけですね。どういった任務でしょうか」

 妖怪退治の実績を見込まれてということは、そういうたぐいの任務だろうか。

 広げた巻物を劉博士の指がトントンとたたく。

「つい最近だけど、禁軍の武器庫で盗難とうなんさわぎがあったの。ぬすまれたのは四本の太刀たち、名だたる宝刀名刀よ。犯人はまだつかまってないわ。ところが」

 自分が三度目の婚礼こんれい休暇きゅうkを取っている間にそんなことがあったのかと驚く結蓮に、彼は表情を変えずに続けた。

「──現場から業焰ごうえん残滓ざんしが発見されたのよ」

 ぎくり、とむねが大きく鳴った気がした。

「業焰……。それは、あの業焰ですか」

「そう。五年前、後宮を襲撃しゅうげきしたあの業焰よ」

 結蓮は愕然がくぜんとした。思わずひざこぶしにぎる。そうしなければふるえてしまいそうだった。

 それは、あってはならない大事件だった。

 本来宮城には悪鬼あっき妖怪ようかい侵入しんにゅうふせぐため強力な結界が張られている。だが、突如とつじょとして現れた。

 居合わせた女官にょかんらの命をうばい、皇后と太子に重傷じゅうしょうわせたのは、業焰と呼ばれる妖怪だった。身丈みたけ大柄おおがらな成人男性ほど。とらに似た頭部と毛並みの長いさるのような体軀たいくを持ち、人のように知略を用い、ほのおあやつるといわれている。

 封陰省の者はだれ一人として襲撃を察知することができず、そればかりか現場にけつけてもこなかった。最初に助けに現れたのは、当時他部署の官吏かんりをしていた現・封陰省長官の相京そうけい。彼の働きで業焰は退散し、皇后と太子は一命を取り留めたと言われている。

 ただ、それが事実と少しちがうことを結蓮は知っている。その時現場にいたからだ。

 真っ先に駆けつけ、妖怪と対峙たいじして戦ったのはだった。術によって業焰の片腕かたうでを焼き切り、それがきっかけで、かの妖怪は退散したのだ。

 だが命の恩人であるその人が一体何者なのかは結蓮にもわからない。なにぶん当時は混乱の極致きょくちにあったし、後で自分なりに調べてみたが結局行方ゆくえはつかめなかった。

 気づけば一緒いっしょにいた人たちはみな血溜ちだまりの中にしており、結蓮だけが大した怪我けがもなく無事だった。一族の人々はそんなむすめを気味悪がり、祖父そふは外に出してくれなくなったのだが、それはまた別の話だ。

「……それは、確かなのですか」

 震えそうになるのをこらえて声を押し出す。この五年の間、もっともおそれ、もっとも再会をがれた相手と言ってもいいかもしれない──にくかたきが現れた。

「業焰が残していった片腕と武器庫に残っていた痕跡こんせきの気配が一致いっちしたし、間違いないわ」

「では、皇城にいるのですか? 業焰が、本当に」

「たぶん片腕を取りもどしにきたんでしょう。なくした身体からだの一部を奪い返そうとするのは妖怪の本能だからね。おそらくこれまでは結界のせいで侵入しんにゅうできなかったんでしょうけど、今は入り込めているということは、隠形おんぎょうしてるんでしょうね」

「隠形……」

「人の皮をかぶるか、もしくは人に乗り移ってるってこと」

 結蓮は息を吞んだ。朝廷ちょうていには何千何万という人がいる。その中にまぎれ込まれたらさがし出すのは不可能に近い。

「ですが、なぜ今になって? この五年、業焰はまるで気配を見せなかったはずです」

「皇后陛下の快癒祈願に乗じてってところでしょうね。業焰の片腕も結界にふうじられているから。痕跡はほかの場所でも見つかってるし、あちこち捜しまわってるようね」

 まゆをひそめた劉博士の言葉に、さぁっと血の気が引いていく。

 彼は明言しなかったが、業焰の目的はうでだけではあるまい。五年前と同じように太子の命をねらっているはずだ。龍神りゅうじん末裔まつえいである琮成そうせいは、妖怪にとってもっとも甘美かんび獲物えものでもあるのだから。──それが皇城を自由に動き回っていたなんて。

(業焰がいる。この皇城に……!)

 知っていれば、指名されなくとも名乗りをあげたことだろう。大好きな皇后と太子を傷つけ、仲良しだった女官たちの命を奪った妖怪を、今度こそこの手でほふってみせる。

「わかりました。微力びりょくながらお手伝いさせていただきます」

 自分が選ばれた理由がようやくわかってむねが熱くざわめいていた。

 出向の理由は妖怪退治。──望むところだ。

 思いめた顔で宣言せんげんした結蓮を、寝椅子でごろごろしていた季隆が何か言いたそうにじっと見つめる。が、結蓮が気付く前に彼は笑顔えがおになって身体からだを起こした。

「助かるよ。これからは俺たち二人で動くことになるから。よろしくね、おじょうちゃん」

(……お嬢ちゃん?)

 結蓮はいぶかしげに彼を見た。先ほど名乗ったのに、彼は聞いていなかったのだろうか。

「あの、橘次官。私の名はほう結蓮と──」

「あ、そうそう、外回りの時は橘次官って呼ぶの禁止ね。いろいろやりづらいから」

「……承知しょうちしました。ではなんとお呼びすればよろしいですか?」

「好きに呼んでいいよ。季隆でも季さまでも季ちゃんでも」

「……」

 上官相手にそんな軽い呼び方をしてもいいものだろうか。柚梨ゆうり軍なら即除籍そくじょせきなのだが……となやんでいると、劉博士が苦笑くしょうしながら割って入ってきた。

「やりづらいでしょーこの人。つい最近まで山にもって修行してたから浮世うきよばなれしてんのよねー。おかげでこうことばにも慣れてなくて、たまにちんぴらみたいなしゃべり方するけど、気にしないでやってね」

「修行……そうなのですか」

「こら、誰がちんぴらだ」

 不満げにっ込む季隆を結蓮は感心して見た。そういえば次官に任命されたのも一月前だと言っていた。

「それに、れん国ではごく親しい者同士しか名を呼ばないっていう習慣があるそうなの。家族や恋人こいびとや友人とか……。まだそのくせけないみたいなのよ」

「なるほど……」

 結蓮は今日会ったばかりだ。最初から劉博士たちと同じあつかいをされるはずがない。

「煌と真逆ですね。煌では自分が認めた相手なら誰であろうと名を呼びますし」

「ええ。国が違えば文化も違うというわけねー。あっ、安心して。ごらんの通りのお調子者だけど腕は確かだから。これでも故国に帰れば呪禁じゅごんの大家の御曹司おんぞうしなの」

「御曹司? どういう意味ですか?」

 煌では聞かない表現に結蓮が首をかしげると、劉博士も同じようにして思案する。

「そうねえ……若様とか、おぼっちゃまとか、そういう感じかしら」

「やめてくれ。いいとししてそんな呼ばれ方されたらずかしくて街を歩けねーよ」

 くずした煌ことばでぼやくように言った季隆は、片手には扇子せんす、片手には棒状の菓子かしをつまんでいる。そんな行儀ぎょうぎの悪いことをしながらも彼の所作は不思議ふしぎ優雅ゆうがだった。生まれながらにしみついたものらしい。なるほど、若様と呼ばれるにふさわしい人のようだ。

「では私は、御曹司どのとお呼びします」

 かしこまって申し出ると、その場が静まりかえった。

 最初にき出したのは劉博士だった。翡翠丸も無表情のまま口を押さえている。季隆はといえば微妙びみょうな笑顔だ。

「……えーと。皮肉、じゃないよな? 真面目まじめすぎて天然なの? それともやっぱり上官いじめ?」

「は?」

 怪訝けげんな顔の結蓮と見比みくらべてくすくす笑いながら、劉博士が季隆をひじでつつく。

「ちょうどいいじゃない。『お嬢ちゃん』に『お坊ちゃま』で」

「……俺はそういう意味で言ってるんじゃないんだけどな……」

 かみをかきあげつつ季隆がぼやく。なんだか少しがっかりしたような、複雑そうな顔だ。

 結蓮は不思議に思ったが、何気なく話を続けた。

「留学生組は、この書庫付きの方で全員ですか?」

 一瞬いっしゅん奇妙きみょうな間が流れた。

 劉博士が気まずげな顔をしたのに気づき、結蓮は首をかしげる。

「あの……?」

「お嬢ちゃん」

 突然とつぜん、季隆が立ち上がった。そのまま長袍ちょうほうすそをひるがえして足早に書庫を出ていく。

「大変なこと思い出した。今すぐつきあってくれ」

「……! はっ!」

 この緊迫感きんぱくかんはただごとではない。さっそく捜査そうさかと、結蓮は気を引きめて彼を追った。


    ◆


 国都桃霞とうかは、皇宮こうぐうからみやこの大門までをつらぬ玉天大街ぎょくてんたいがと呼ばれる大通りをじくにして、碁盤ごばんの目のように大路小路が走っている。小路で区切られた居住区を〝どう〟といい、同職種の店が固まって街ができていた。それとは別に、月に二度のいちが開かれ、城外からも人が集まりにぎわいを見せる。

 ──封陰省を出てから一鐘いっしょう後。

 東市の真ん中で、結蓮は両手に大根とかぶが山盛り入ったかごかかえて呆然ぼうぜんとしていた。

 あたりではあちらこちらで壮絶そうぜつなる戦いがり広げられている。

「あっ、ちょっ、そのねぎは俺が先に目をつけてたんだけど!」

「フハハハ! 甘いね、若いの! ここは弱肉強食の世界! でかい獲物えものが欲しけりゃ早いもの勝ちなのさ!」

「くそっ……! 強すぎる……やっぱりおばちゃんには勝てない!」

 戦いに敗れた季隆がくやしげに葱のたばかごに入れる。彼の持つ籠ももう満杯まんぱいだ。しかし戦意を喪失そうしつしたわけではないらしく、きりっと次の目的地に目を向ける。

「よし、んじゃ次はいもだ。はかり売りなんだけど一人当たりの数量が決まってるんだ。君も加勢してくれ」

「……あの、御曹司どの」

「やばい、もう始まる! 急げ、お嬢ちゃん!」

「あの、すみません! おたずねしたいことがあるのですが」

 け出そうとした季隆を結蓮は無理やり引きめた。この状況じょうきょうが一体なんなのか、いまだに理解できていないのだ。

「大変なことって……、まさかこの市のことなのですか?」

 やけに深刻な様子でけつけたかと思えば、そこに広がっていたのは見渡みわたかぎりの菜っ葉や根菜の山々。そして殺気だった目をした城下の主婦の集団だった。季隆が慣れた様子でそこに参戦してしまったため、結蓮は荷物持ちとして問答無用で連れ回されてしまったのである。

 何を今さら、という顔つきで彼はふ|《|ルビを入力…《ルビを入力…》》り返った。

「そうだけど、それがどうかした?」

「業焰捜しの任務ではないのですか?」

「それはそれ、これはこれだ。月に二回の大安売りなんだよ。これを見逃みのがすなんて人生損してる。このもよおしがどれだけ俺の生活を支えてるのか君にわかるか?」

 そんなに切々とうったえられても困ってしまう。

「大家の若様なのでしょう? どうして大安売りに繰り出す必要が」

「生まれは大家でも、今は独立してるからね。日々の食い扶持ぶちは自分でかせがなきゃ……って、うわ、始まった! 行くぞお嬢ちゃん!」

 話の途中にもかかわらず季隆は芋争奪いもそうだつ戦に飛び込んでいってしまった。

 仕方なく自分もそちらに向かいながら、結蓮は失望のようなものを感じてくちびるをかむ。

(やっぱり、この人も封陰省の人だったということなのかしら……)

 少なくともこれまでは、若くして次官にまでのぼっている彼のことをうやまう気持ちがあった。だが朝廷ちょうているがした大妖怪だいようかいが再び現れたというこの非常時に、自分の食べ物優先なのかと思うと腹だたしくなってくる。

(浮世離れしていると劉博士どのはおっしゃっていたけれど、そういう問題じゃないわ。……これだからきらいなのよ。封陰省というのは──)

 苦い過去を思い出しくやしさをかみしめながらも、結蓮は芋争奪戦に勝利して籠にめ込んだ。

「いやー、危なかった。なんとか品切れ前に間に合ったよ。協力してくれてありがとね、お嬢ちゃん」

 季隆もほくほくした様子で籠にった芋を持ち帰ってきた。木陰こかげで待っていた結蓮は一つため息をつくと、まっすぐ彼を見据みすえた。

「まさか、本当にこれだけのために私を連れ出したのですか?」

 上官がこんな調子なら、せめて自分がしっかり動かなければ。もう遠慮えんりょしてはいられない。

 冷たさを帯びた声と視線に気づいたのか、季隆が軽く目を細めてこちらを見る。

「これも大事な仕事なんだけどな。──でもま、実を言うと、みんなの前じゃできない話をしたかったんだ」

「何か個人的なお話ですか?」

「うん。すごく個人的」

「……? なんなのです?」

 まゆをひそめる結蓮に、季隆はにっこり笑って告げた。

「俺と結婚けっこんしてください」

 ──どさっ、と結蓮の手から籠が落ちた。

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六蓮国物語 王宮の花嫁武官 清家未森/角川ビーンズ文庫 @beans

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