バーで沈没しかける話
かほん
第1話
コロナ蔓延防止が全面解除されて一月たった水曜日、そこかしこの飲み屋で、賑げな酔客の声が聞こえていた。
バー・オリーバァでも賑やかな声がしていた。卓の埋まり具合は8割9割位?まだ少し人は入れる。カウンターも空いている。と言うかカウンターには私ともう1人男性しか座っていない。男性は--名前を聞いたのだが既に忘却の彼方なので男性と呼ぶ事にする--私から一つ飛ばしのスツールに座っていたはずなのだが、いつの間にか隣に座ってた。
いや、私が「良いよ」だか、「うん」だか答えた様な気もする。なら私のせいか。
年は23から27歳くらい、少し年下に見える。こんなアラサー女に性的な興奮を感じるのか。あれか、所謂年増好きと言うやつか。
「ここは俺が持つからさ、ぐっとやろうよ」
などと、酒を強要してくる。言われなくても飲んでるわ、ボケェ。
「あんたも飲みなさいよ」
「ああ、一緒に飲もうぜ。シメイの赤一本頂戴」
「私がジン飲んでいるのに何であんた、ビール飲むのよう」
男性に絡み始めた。わかっているんだけど、止まらない。このままとことん行ってしまう。
「タンカレーおかわりー」
そろそろ呂律が回らなくなってきた。呂律が回らないのって、自分でもわかる。呂律が回ってない風を装って話してもシラフの人には大概バレる。
「おねぇさん、次の店いかね?」
「何の店よ」
「いや、ここよりちょっと良いバーが有るんだよ。シングルモルトも揃っている店だよ」
シングルモルトォ?この店にだって置いてあるやい。
「マスター。シングルモルト出してよ」
「シングルモルトの何にするの?」
「んー、じゃ、ボウモア」
マスターは参ったな、と言う顔でやや薄くなり始めた頭を掻いた。
ボウモアを注いだショットグラスを私の前に置いた。ついでに水も。
「それ飲んだらもう帰りな」
「ん。わかった。かえりゅ」
「えー。おねえさん、もう帰っちゃうのー。まだ飲もうよぅ」
それには答えず、ボウモアを一気飲みして、グラスをタン、とテーブルに置いた。
「タクシー呼ぶ?」
「いい。英治に電話して」
「大丈夫なの?英治くん忙しくない?」
「ん。今日はノー残業デイだから大丈夫」
「えーだれさ、英治って、お姉さんの彼氏?」
「ん。そう」
「じゃぁさじゃぁさ、俺と付き合わない?その英治って奴よりも全然上手いよ」
「セックスなら英治も上手いよ」
これはまあ、嘘も方便という奴だ。私はまだ英治に抱かれたことが無い。
などと話しているうちに英二がやってきた。
「ごめん、マスター手間かけさせて」
「いや、それは良いんだけどさ。ちょっとそう言う事になってる」
マスターは声のトーンを落として英治に話した。
「もー。何やってるんだよ。ほら、帰るよ」
「ちょっとちょっと。俺と飲んでたんだぜ。横入りするなよ」
と男性が凄んできた。
ああー。もううるさい。うるさい奴は嫌いだ。
「あんたさぁ、酔い潰れてる女とやって楽しいの?その辺の立ちんぼ買った方がよっぽど良いだろ。酒代無駄にすんな」
と英二が啖呵きった。相変わらずかっこいい。
「ふざけんなよ、てめぇ、俺が幾ら飲ませたと思ってんだ」
「だから俺が勘定をするよ。お前はお前の分だけ払え」
と英治は言ってマスターを呼んだ。
「マスターお会計」
「はいよ。んと、税込12800円だね」
「うわー飲んだな。何飲んだらそんな値段になるんだ」
「えーとね。ボンベイ・サファイアが一本空になった。あとはタンカレーにボウモア、それ以外にも色々飲んでたから」
「だいじょうーぶ私お金持っているから」
「取り敢えず払っておくから。財布しまっとけ」
相変わらず私に支払いさせない。こう言うところ良いな、って思う。
それで朝になってシラフになると、ああ、英治に悪いことしたな、と思うんだけど、酔っ払うとまた英治を呼んでしまう。
英治の車に乗せられる。英治は車の趣味が悪いのでMGローバーの2シーターに乗っている。中古で買って整備して整備して整備して、それでも何度か修理したって言ってたな。素直にトヨタかニッサン買えば良いのに。
そのまま、英治の家に連れて行かれ、水を飲まされた後、多分ベッドルームに連れて行かれた。多分と言うのはこの辺りの記憶が凄く曖昧だから。
目が覚めると、ほとんどスッポンポンの下着姿だった。
は、これは英治にやられたか、と、思い嬉しい気持ちと、全然記憶がない残念な気持ちに襲われたが、ベッドの下に脱ぎ散らかした服と、股間にどうもした後が無いので、何もされなかったと結論するしかなかった。
私が起き出して服を着ると、ベッドルームの向こう側から物音がするのに気がついた。
うう、水、水が欲しい。
そう思ってキッチンに向かうと、ソファに畳んだ毛布が乗っていた。英治はソファで寝たのか。遠慮しないで私と一緒に寝れば良いのに、と思ったがそれは言えない。
キッチンでは英二がベーコンとスクランブルエッグを焼いていた。
「おはよう」
「おはよう。お水頂戴」
「はい」とコップを渡される。
ごくごくと一気に飲み干してしまった。
「昨日のお会計幾らだった?」
「良いよ。べつに。今度おごれ」
「わかった」
それで、英治とのお金の話は終わりだった。前にやや強引に払おうとしたんだけど、「要らないって言ってるだろ」とちょっと怒らせてしまった。
「今日仕事は」
「ん。11時までに行けば良いから」
「その前にシャワー浴びていけよ。少しアルコール臭いから」
ちょっと口を尖らせて、
「わかった」
と言った。
英二の家のシャワーを貸してもらった。こう言うふうにシャワーを貸したり、バーに迎えに行ったりする女の子は他にいるの?と以前聞いたことがある。
「俺の女友達にお前ほどデロデロになるまで飲む奴はいない」
つまり、そう言う女性はいない訳だ。
だから、英治は私だけを酒場から救ってくれる人、私のヒーローだ。
英二と一緒に家を出て、近くの地下鉄駅の出入り口に入る。二駅のって、ここから方向が別なので分かれる。
英治に「じゃあね。またね」と言って別の改札に急ぐ。
私は祝日とその前日、金曜の夜と土曜日は街で飲まない。
その日は私だけの英治じゃないから。その日は英治は恋人のものだから。
だからさぁ、英治。今度は私を抱いてよ。
バーで沈没しかける話 かほん @ino_ponta
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