第9話

 私は生きている事を実感していた。


 何度も息を繰り返すだけの時間を過ごした私は生存本能から解放されて理性を取り戻していた。


 まだ暗い自室を見渡し太陽がまだ出ていない事に気がつき壁掛け時計を見上げると私が起きようとしていた時刻よりも随分と早く目が覚めてしまったらしい。


 何事も無い日常ならば目覚ましが鳴るまで二度寝するのだろうがここまで怯えてしまった私の心のまま寝付く事は困難だろう。


 再び眠る事を諦めた私は起き上がる。


 金縛りの中で女性の手首を引っ掻いた生々しい感覚が残っている私の手を確認するが爪の間に何か挟まっている事も血がついている事もない。


 やはり現実で起こっている事ではないらしい。


 ただ身体のあちこちに生々しい感覚だけが残っている。


「そうだ……顔を洗おう……」


 私は普段は出さない様な台詞をあえて声に出してあの女の子の声が出てこない事を確認した。


 大丈夫。普段通りの私の声だ。


 顔を洗い終わった私は恐怖が残る自室から離れて時間を潰す為にリビングで暫く勉学に励んでいたが窓の外が明るくなってきた。


 そろそろテレビを付けてもいい頃合いだろうとニュース番組を小さな音で流し始めた。


 勉強していた手を止めて画面を見ると大人の女性が顔を覆いながら泣いている映像が流れている。


 行方不明の女の子の母親だそうだ。


『ヤメテ……オカアサン……』


 行方不明の女の子という単語に反応して昨夜の悪夢の光景が蘇る。


 テレビに映し出された女性は顔を手で覆い夢で見た女性か確信はないが両手首には怪我をしたのか包帯が巻かれている。


 私の指先には夢の中で女性の手首を引っ掻いた生々しい感覚がまだうっすらと残っている。


 あれはワタシがつけ……違うあれは金縛りでの出来事だ。私があの女性と直接会った事すら無いのにどうやって怪我させられる筈が無い。


 そもそもテレビには顔が映っていないのだから私が金縛りで見た女性とは違うかもしれないだろう?


 現実と夢との違いが徐々に崩れていきそれに合わせて吐き気が強くなる。


「――引き続き行方不明の情報をお伝えします。――に住む――アカリちゃん十歳が月曜日未明から行方不明になっています。何か情報がございましたら――」


 連絡先と女の子の写真がテレビに映し出された。


 気味の悪さからくる吐き気堪えていたがその写真を見た私は耐えきれず流し台に走り嘔吐した。


 テレビに映し出された女の子の写真は火曜日に教室で見た夢に出てきた女の子そっくりだった。


『ワタシ ヲ ミツケテ』という言葉が私の頭に浮かんでくる。


 私はいつこの悪夢から解放されるのだろうか?



 父親に心配をかけない様に流し台の吐瀉物を綺麗に片付けてなるべく普段通りに過ごした。今朝は父親に顔色の悪さを指摘される事も無く私は無事に学校に辿り着いた。


 結衣が登校してきた私に気がついて近づいてくる。


 朝の挨拶を終えた私は昼休みを待つ事ができずに結衣に昨晩から今朝までの出来事を早口で吐き出した。


「今朝ニュースでやってた行方不明の女の子が夢で出てきた女の子だと?」


「そう……」


「えっとそれでアカリちゃんだっけ? で、その子が母親に殺されていたかもしれないと?」


「信じてくれないかもしれないけど……たぶんそう……」


「紬が変な嘘はつかないとは思っているのよ。特にこんな意味がわからない嘘いう必要がないし……。ただもし見つけたとして死体掘り起こすの? 私達だけじゃ手に負えないよ?」


「そう……だね」


 そうだ。もしアカリちゃんが殺されていてそれを私達が偶然見つけたとしてどうすればいいかなんて全く考えていなかった。


「んー。それに場所の情報は未だに無いのか……。その女の子は本当に見つけて欲しいのかな?」


「場所を教えてくれないから?」


「母親を探るにしても女子高生二人が行った所で何も教えてくれないでしょ? それはもう警察のお仕事だよ?」


「警察に私の金縛りの事を話すとか……ダメなのかな?」


「今の情報だと厳しいかな……? 結局場所がわからない以上その女の子の発見には繋がらないからね……」


「どうしようもないのかな……?」


「んー。紬が直接頑張る必要はないとは思うよ? いま側から見ると紬が女の子を直接見つける事に執着している様に見えるしね。他の解決策も検討してる?」


 結衣に言われた言葉が私の胸に突き刺さる。暗示の様に私の心に刻まれた『ワタシ ヲ ミツケテ』という言葉に私は支配されていないか?


 恐怖で視野が狭くなっている事を私はやっと自覚した。


「他の方法考える余裕が無くなってる感じがする……。恐怖に打ち勝つだけで精一杯なんだと思う」


 私はなんでこんな焦っているのだろうか?


 私がいま頑なに父親を頼らないのは何でだろうか?


 私らしくないと思った時に考えないようにしていた私が私でなくなる恐怖と不安が私に襲い掛かる。


「大丈夫。紬は私が守ってあげるから」


 私の不安な顔を見た結衣がそう言いながら私を抱きしめた。


 結衣の体温が暖かくて私は安堵する。


「ありがと結衣」


 朝礼を告げる放送が流れる。


 不安は消え去る事はないが少しだけ頑張れる気がする。


「詳しい事は昼休みに話そうか? でもダメそうだったらすぐに相談しにきていいからね?」


「うん。また後でね」


 今夜には私らしく父親にも伝えよう。


 私が今巻き込まれている奇妙な出来事の事を。

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