第8話

 水曜日の夜。


 私は家事を終え筆記具を手に持ち机に向かっていたが何一つ頭に入ってこない。


 眠る事が怖いという事だけが私の思考回路の全てを奪っていたのだ。


 瞼が重くなればなるほどに徐々に恐怖が増していく。


 眠らないという選択肢もあると怯え切った心が訴えるが永遠に眠らないという事はできない。


 もしかすると私の与り知らぬ間にあの女の子が見つかって解決しているのかも知れないと淡い期待で怯え切った心を誤魔化して私は就寝する事を決意した。


 自室からリビングに出て母親のいる仏壇に就寝の報告をする為に歩みを進める。


「紬寝るのかい? ……ん、どうしたのそんな怖い顔をして?」


 リビングのソファで寛いでいた父親が決意に満ちた私の顔を見て疑問に思ったようだ。


 恐怖で強張ってしまった顔をほぐしながら私は父親に返答する。


「昨日金縛りにあったから寝るのが少し怖いの。だから今日は何も無いように母さんにお願いしないと」


「そういえば朝言ってたね。何度も続く物でもないらしいし、思春期にはよく起こる事らしいんだけど心配だね……」


 父親は金縛りを調べていたようだ。


 しかし思春期に女の子に取り憑かれる事が大変稀な事は調べずとも感覚として分かる。


 そして対処法が定かではない事も……。


 小さな仏壇の前に辿り着き手を合わせ就寝の挨拶をして仏壇の上に飾られている母親の写真を見る。


 髪型が違うが顔立ちはやはり今の私に似ている。父親曰く私と同じく背が低かったらしい。もし今も生きていて隣に並んで歩く事ができたなら姉妹に見えたのかもしれない。


 自室に戻る前に母親が助けてくれる事を願ってもいいよねともう一度仏壇に手を合わせた。


「それじゃ父さん。お休みなさい」


「お休み紬」


 私は大丈夫という意味が通らない暗示を自分自身にかけながら誰一人味方がいない殺風景な自室に戻る。


 いつまでも逃げ続ける事はできない。


 私はベッドに潜り込んだ。



 雨とは違うザーッという音が微かに聞こえてくる。


 今日も途中で目が覚めてしまったようだ。


 恐怖に押しつぶされない様に深く息を吸う。


 大丈夫だ。私は息が吸えている。


 身体は動くだろうかと寝返りを打とうとしたその時にザーッという音が鋭角に歪み私の鼓膜を劈く。


 痛いという声も咄嗟に塞ごうとした手も動かない。私の身体は仰向けで耳を塞ぐ音になす術がなく晒されている。


 また金縛りだ。


 ただ今回はまだ息が吸えている分気が楽である。


 このまま断続的に鼓膜を劈く様な凄まじい騒音をやり過ごして朝を迎えよう。


 あの女の子の情報が何かしらあればいいと思っていたが息ができなくなって死ぬよりずっといい。


 早く終われと耳を劈く音に耐えながら願い続けるとやがて音が止まる。


 解放されたと感じホッと一息吐こうとしたが誰かが仰向けに寝ている私の身体に跨る重みを感じた。


 その重みは生々しく暖かい。


 私の顔を見られている感覚に私は目を閉じて過ぎ去るのをただただ待っていたが期待は直ぐに裏切られた。


 私の上に跨る何者かが私の首を締め付けてきたのだ。


 私の手が首の締め付けから逃れようと自然に動き何かを掴む。


 体温が感じられる。


 何者かの手首だ。


 生々しい体温に驚き開いてしまった私の視界には大人の女性が私の首を締め付ける光景が映し出されていた。


 大人の女性は私に深い恨みがあるかの様に鬼の様な形相で私の首を締め付けている。


 一切の力加減がなされていない。恐らく目の前の女性は私を殺す気なのだろう。


 死ぬのは嫌だ!


 私がこの人に何かしたの⁈


 私には身に覚えがない。


 私の恐怖の対象であったあの女の子でもない未知の存在だが目が血走り力の限り私の首を締め付けている。


 なぜ私がこんな目に遭わなければならないのかわからないが喉を押しつぶされた現状では女性に疑問をぶつける事ができない。


 とにかく息が吸いたいと私は大人の女性の手首を引き剥がす為に踠く。


 私の手は女性の手首を掴み力を込めたが女性の手を私の首から引き剥がす事ができない。


 私の手が何度も滑り大人の女性の手首を引っ掻き視線が動かせない為見る事ができないが爪の間に何かが挟まっては溢れ落ちる感覚が伝わってくる。


 やがて指先に湿った物が混じり始めた。


 早く息が吸いたい。


 視界が狭くなってきた。


 限界が近い。


「ヤメテ……オカアサン……」


 不意に私の口から出た言葉に怖気がした。


 あの女の子の声だ。


「クルシイヨ……オカアサン……」


 言葉として外に出ていないのになんて言っているか理解してしまっている事に気がつく。


 違う! 私は貴方じゃない!


「あんたさえいなければ! あんたなんか産むんじゃなかった!」


 興奮した女性が甲高い声を隣近所に聞こえない様に抑えながら私に言葉を突き立てる。


 その言葉を聞いた私の身体は私の意識とは関係なく抵抗をやめてしまった。


 嫌だ!


 私は死にたくない!


 動いてよ私の身体!


 意識が遠くなるに連れてザーッという音が時折鋭角に歪みながら徐々に大きくなる。


 そして意識を失いかけたその時にあの女の子の声だけ聞こえてくる。


「ワタシ ヲ ミツケテ」と。

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