第5話

 寝返りを打つと携帯端末からアラームが鳴っている事に気が付く。


 私の身体を抑えていた柔らかく重い感覚は既に消えている。


 私は跳ね起きたが悲鳴をあげる事すら許されずまるで今まで溺れかけていたかの様に必死で息継ぎをした。


 脳が酸素を欲しがっている。


 思考が散らばって纏まらない。


 きっと何かの間違いなのだと心の平穏を維持しようと試みたが、耳元に残る息遣いが……仄かに感じた土の匂いが……あれは夢ではないと私の思考に警告を発していた。


 夢の出来事が現実である筈がないだろうと恐怖を心から排除しようと努めるが息ができなくて水中でもないのに溺れかけた私の身体は恐怖で震えている。


 あと少し解放されるのが遅れたら私は死んでいた……?


 規則正しい壁掛け時計の秒針が進む音。


 私の荒れた呼吸音。


 遠くに微かに冷蔵庫の駆動音。


 人がいない静寂が怖い。


 私と関わり合いが無い女の子にどうしてここまで悩まされなければならないのだろうか?


 荒れた呼吸を整えながら机の上に置いてある携帯端末を手に取り騒がしく朝を告げるアラームを止めた。


 中間考査が終わった翌日の水曜日の日付が携帯端末に表示されている。


 ふと手に取ったものを投げ捨ててしまいたい衝動が心の奥底から湧き出るが辛うじて理性が勝ち実行する事なく携帯端末を机の上に戻して頭を抱える。


 見ず知らずの女の子を見つける手段なんて私は知らない!


 殺風景の部屋の中で頭を振り嫌な感覚を振り落とそうと努めるが耳元で囁かれた言葉が蘇る。


「私を……見つけて……か……」


 なんて身勝手でいい加減な願いなんだと私の声は恐怖と苛立ちで震えている。


 忘れていたかった事を思い出させた女の子の声。


 これからずっと眠る度にあの女の子が現れたらと考えると恐ろしい。


 お祓いに行くのか? それとも女の子を見つけ出すのか?


 なにを選んでもそれで解決する確証は何もなくかと言って放置して解決するのか不透明だ。


 恐怖は身体の芯に残っているがしばらく頭を抱えている間に苦しかった息はなんとか整えられた。


「とりあえず……顔を洗おう……」


 動き出さなければ私は不安に押し殺されそうだ。


 それにさっぱりすれば恐怖も和らぐかもしれない。


 私は寝巻きのまま自室から父親を起こさない様に音を極力出さずに歩いて洗面台に辿り着いた。


 洗面台に設置してある鏡の中にいる顔色が悪い私は無表情で涙を流していた。


「どうすればいいの……」



「紬、顔色悪くない?」


 予想通りに叩き起こす事になった父親は食卓に着いた第一声で私の顔の事を指摘した。


 箸に手をつける事なく私の顔を心配そうに見つめている。


 お弁当を作り上げ朝食の用意を終えた私は怖さも和らぎ普通に戻れていた気がしていたが私の父親は何かを察知したらしい。


「寝ている時に金縛りにあったの。人生初の」


 嘘をつく必要はない。


 全部伝える気がないだけだ。


 それにどうやって説明したらいいのか整理もできていない。


 脈略もなくありのまま伝えたとしても父親は心配してくれるだろうがまだ頼りたくない気持ちが勝っている。


「父さんは金縛りあった事がないからなぁ。続く様なら病院に行く事も考えておかないと」


「そんな大袈裟な……」


「ん? 自分が知らない事をその道の達人に聞く事は恥でもなんでもないでしょ?」


「まあそうだけど……」


「とりあえずご飯が冷めないうちに、いただきます」


「いただきます」


 我が家の朝食は和食である。


 パンが嫌いなわけでもないが私が料理する様になってから自然とそうなっていった。


 しかし今日は炊き立てご飯があり、湯気が立ち昇る味噌汁があるが、常備菜や昨日の残り物を並べた手抜き気味の朝食である。


「金縛りってどんな感じだったの?」


 味噌汁をひと啜りした父親がやや脱力した顔で私に尋ねてくる。


「んーっとね。時計の秒針が進む音が遠くなって……ザーッて音がだんだん大きくなって……気がつくと身動きできなくなって……息もできなくなった」


 父親の程よい相槌に合わせて昨夜の金縛りを心配させない様に言葉を選びながら振り返る。


「息ができないのは心配だなぁ……。続く様なら病院行く事は考えて置いてね? 紬はなんでもできるし父さんも信頼しているけど無理していい理由にはならないよ?」


 父親に頼られる事を求めていた私はまだ女の子の事を話す事ができなかった。


 自分で解決できると信じたい。


 そして後日父親に話して褒められたいのかもしれない。


「無理はするつもりはないよ? でも病院に行くのはやれる事やってからね?」


 決意と共に勇気が湧いてくる。


 手掛かりは何もないがまだ何かやれる事がある筈だ。


 似顔絵一つで探す人だってこの世の中には沢山いるのだろう。


 ただ一人で抱えるのは辛いし挫けそうだ。


 だからこそ私が一番信頼できる人物『渡辺 結衣』をこの件に巻き込む事にしよう。


 結衣よ私の幼馴染になってしまった事を後悔するといい。


「ん? 紬、やっと笑顔になったね?」


「うん。ちょっと元気がなかったけど父さんのお陰で元気が出たよ。ありがとね」


「よく分かってないけど……どういたしまして?」

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