第4話

 中間考査が終わった火曜日の夜。


 幼馴染と昼食を食べた後にどこかに遊びに行く事もなく真っ直ぐに帰宅した私は試験期間中に手を抜いていた箇所の家事に追われていた。


 父親が帰宅して夕食を食べ終わる頃には怖い夢の事は頭の片隅からも追いやられていた。


 夕食の片付けも終わりお風呂にも入った後に自室で勉学に励んでいたが今日はすぐに眠気に襲われ予定より早めに就寝する事にした。


 自室からリビングに出て母親のいる仏壇に就寝の報告をする為に歩みを進める。


「ん? 紬もう寝るのかい?」


 リビングのソファで寛ぎながらテレビを見ていた父親が私がリビングに来た事に気がついて私に話しかけてきた。


 今はだらしがない姿をしているが私が最も信頼している人物である。


 しかし父親自身が頼りになるかは大変不透明でもある。


「うん……なんか眠気が強くてさ……」


 気にする相手がいない我が家で私は大欠伸をしながら身体を伸ばす。


 棚の上に置いてある小さな仏壇の前にたどり着いた私は手を合わせて心の中でおやすみなさいと母親に伝える。


 私が三歳の時に病死した為に母親の記憶はあまりないのだが習慣化してしまったこの行動を無駄な事だと切り離す事は私にはできそうもない。


「そういえば試験最終日だったよね? 本当に家事手伝わなくて大丈夫だった?」


 父子家庭で家事を分担していた私達親子だが必ずしも二人で家事をやってきた訳ではない。


 特に父親は無理をしない事と私に無理をさせない事を大前提に考えており地域の生活補助員や家政婦サービスを最大限活用してきた。


 私が風邪をひいて寝込んだ時や受験勉強の追い込みの時は父親は迷わず助けてくれる人を呼ぶのだが普段の暮らしについては私の意志を尊重してくれている。


 というのも私の家に誰か他人がいる事が私にとって一番のストレスな事を理解してくれているからだ。


「大丈夫だったよ? 勉強時間も十分確保できていたし」


 料理をしながら。


 洗濯機を回している合間に。


 高校受験の時からあらゆるスキマ時間で勉強してきた私は『ながら勉強の玄人』を名乗っていい頃合いかもしれない。


 そして無理をしているつもりもないし作り置き惣菜や冷凍のお惣菜などで適度に力を抜いているつもりだ。


 特に今回の中間考査ではかなり手を抜かせていただいた。


「無理しないように! 爆発する前には必ず言うんだよ? 父さんだってやればできるんだから」


 父親の根拠のない発言に数年前に私が風邪で寝込んだ次の日の台所の惨状が脳裏に蘇る。


 あれは二度と経験したくない。


 次があれば確実に私は父親の事を嫌いになるだろう。


 あの日以降父親には家事をして欲しいとは全く思わなくなった。


「じゃあまず一人で起きてね……」


 不意打ちでやってきた欠伸を噛み殺しながら父親に皮肉を返す。


 我儘なのかもしれないが家政婦さんや行政サービスの人と過ごす気まずさに比べたら私は自分の力で生活がしたい。


「善処します。紬おやすみ」


 微笑みを浮かべる父親の言葉だけの反省は何度目だろうか?


 恐らく明日も私は早く起きて父親を叩き起こさないといけないらしい。


「おやすみなさい……」


 最後に大欠伸と明日のお弁当の献立を想像しながら私は自室に戻った。


 我ながら殺風景な部屋だ。


 高校の制服がなければ乙女の自室には見えないだろう。


 明日も無事に父親を会社に送り出す為に携帯端末の目覚まし機能を確認して私は自室を消灯する。


 壁掛け時計の秒針が進むカチカチという音が心地いい。


 私はベッドに潜り込みでゆっくりと脱力する。


 家事に追われて昼間の事を忘れていた私は驚くほど早く意識を手放した。



 壁掛け時計の秒針が進むカチカチと言う音と遠くには冷蔵庫が生み出している重低音が聞こえてくる。


 まだ目覚まし機能が活躍する前に意識が覚醒してしまった様だ。


 目を開けようと努力するが瞼が重たく今何時か確認する事ができない。


 目覚ましが鳴っていないのであれば無理して起きずに目覚まし機能が活躍するまで再び寝てしまおうと私は現状を深く考えずに脱力した。


 暫くすると壁掛け時計の秒針が進むカチカチと言う音が遠ざかり雨音に似たしかしどこかが違うザァーと言う音が聞こえてくる。


 時計の秒針の音が消えた事で昼間の恐怖が蘇る……


 ベッドから跳ね起きようと試みたが……


 指先一つ動かせない。


(これって金縛り? なんで動かないの?!)


 父親に助けを求めようと声を出そうとするが……


(誰か助けて! お父さん助けて!)という必死な声は私の喉の奥で渋滞を起こして口から出てくれない。


 そして漸く自分が息すらしていない事に気が付き仄かに香る土の匂いと全身を重たく柔らかい物で圧迫される感覚に襲われる。


 息が持たない。


 瞼の裏の闇の世界がキラキラと白く輝いて見える。


 苦しくて泣き出しそうな私に微かだが今まで聞こえていなかった壁掛け時計の秒針が進む音が聞こえてきた。


 逃げる最後のチャンスかもしれないと金縛りから逃れる為に勢いをつけて寝返りを打とうとしたその時に忘れようとして忘れていたあの女の子の声が耳元で再生される。


「ワタシ ヲ ミツケテ」と。

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