死神と英雄
零
第1話
「は、」
と、私は息を吐いた。
同時に大量の血液があふれるのを感じた。
血まみれのナイフを持った彼の腕に、バランスを崩した体が反射的に縋りついた。
そのままずるずると滑り落ちる。
身体が、力を失っていくのが分かる。
命が、流れ出ていくのが分かる。
その時、
私は微笑んでいた。
終わるのだ、と、思った。
命が終わるのと、同時に、私を傷めつけていた苦しみも、悲しみも消える。
身に巣食っていた病も、それを理由に私を見放した人々の思惑も、もう私を傷つけることはできない。
そう、
私は最初から、そうしたかったのだ。
けれど、現実の価値観に縛られた医者や看護師、身内は私をいたずらに生き延びさせた。
そこにあったのは、慈愛の精神などではない。
ただの保身。
自分の責任の範囲内で死なれると、自分の立場が危うくなるから。
だから、私は彼に依頼した。
一般的に「殺人者」と言われる「彼」
私を殺してほしい、と。
できるだけ、他殺に見えるように。
そして、すぐに見つかるように。
何故か。
身内の私に対する非人道的な扱いを、せめてもつまびらかにしたかった。
生きている間、誰もどうにもしてくれなかった。
ただ、救われない苦しみの中にあった。
その、現実を、誰かに知ってほしい。
この、命を以て、この先、家族という名の閉ざされた空間の中で、同じように苦しむ人が出ないよう。
苦しむ人が同じ言葉の逃げ道で孤独の中に置かれないよう。
医療という現場において、ただ、命だけを生かせばいいというわけではないということを。
この、命と引き換えに、残していきたい。
そのためには、病死ではだめだ。
自死でもダメなのだ。
他殺の可能性を匂わせなければ。
少なくとも警察は、変死体さえ出れば放っておくわけにいかなくなるだろう。
口でどれほど訴えても動かなかったとしても。
それが、浅知恵に過ぎなかったとしても、私に出来る精一杯だ。
薄れていく意識の中で、私は私の死神をじっと見た。
返り血を防ぐために纏った黒いレインコートが、より一層死神感を演出している。
ふ、と、再び笑いが漏れた。
「あ、りがとう」
世間では、命を助ける医師や看護師を英雄というのだろう。
けれど、
英雄は保身のために動かない。
手を汚すという行為を以て私の命に責任を持ち、このくだらない人生に終止符を打ってくれた。
彼こそが、私にとっては英雄だ。
二度と開くことのない瞼に、最後に触れた優しい感触。
ぽつり、と、零れた彼の言葉を、私はすでに現実でないところで聞いていた。
「できうるならば、死、以外の方法で、あなたに英雄になって欲しかった」
私は、彼以上に深い愛情の持ち主を知らない。
死神と英雄 零 @reimitsuki
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