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「うちの
賢者の技に《伝心》というものがありこれを戦闘用に応用した技だ。
「……!」
「たまたまうまくいった。精度は低かったにせよ」
女はくやしさに涙をこぼした。兄アルメイルに申しわけなく思った。兄の稼ぎで身分を買い、兄の稼ぎを元に生活を成り立たせ戦闘系の訓練校に通い、兄のおかげでここまでやってこれた。兄の殺し屋稼業、傭兵稼業は女の秘めたる誇りだった。
「くそ……、兄貴は無念だったはず……、フェリルは兄貴の憧れだったのに……自分がフェリルに生まれていれば普通の人生が送れてたって……」
「でしょうね。でもどうにもならない。せめてあたしと戦えたんだからよかったと思ってよ」
「勝手なことを……!」
サラは不思議に思った。ここまで深いダメージを負えば人間の姿に戻るはずである。ぼろぼろの女が現れるはずである。
「あれ……? 獣化が戻らないのはなぜ?
「ふん……、戻らない。私のは一回だけの……一回だけの魔法よ……、やなこと言うわ……」
勝ってもそのままということか。サラは正直胸を打たれた。
「内心、第一印象からあんたのことビッチって思ってた。取り消すわ」
女は怒りを隠さなかった。
「……くそビッチが」
そう言い残して女は失神した。命の火はかろうじて灯っている。ぼろぼろの毛並みが風に吹かれて小さく揺れている。
デュカスがそばにやって来てサラに訊いた。「どうする?」
サラは無言だった。しかしデュカスが次に何かを言う前に彼女は動いた。右腕でゴッと一瞬のファウラーを放ち、光の帯は女の体を包んだかと思うと焼却にかかった。たちまち赤い炎が上がり、虚空に黒いスミが舞い上がっていく。あとには燃えカスだけが荒野に残っていた。
サラは地面に陣を張ると、ひとりでこの場を去っていく。
☆ ☆ ☆
サラは長いこと不機嫌だった。誰も寄せ付けず、医療チームも遠ざけ、王子にすら距離を置き、個室に閉じ籠っていた。部屋から出てきたのは午後十時を過ぎてからであった。一階ロビーで一服している王子のところへやって来ると、彼女は「おなかがすきました」と言った。食堂室にともに行き、サラはスパゲッティとステーキを食し、デュカスはコーヒーだけ頼んでいた。サラがもぐもぐしながら言った。
「フェリルでは事件とか起きてないですかね」
「思念ノートにニュースとか定時連絡はきてる。小さな事件はあるけど通常運営」
思念ノートとは上級国民用の小型携帯端末である。思念は時空を超えるので簡易な通信は可能だった。見た目は長さ十センチの手帳と同じで中身も起動させなければ罫線が引かれたノートと同じである。起動すると記事や文章が浮かび上がる。情報の更新があればその場で紙面が連動する。
「とくに帰りたいって感情がわかないのも不思議ですね」
「そうだな。ここはわるくない」
「いつかは親善外交とかやるんですか?」
「どうだろ? メリットデメリットを議会が判断して──」
「そういうことじゃなくて王族の間でってことです」
「少なくともここの国民は嫌だろ。軍事国家との付き合いなんて。国民のメンタリティ抜きに王族は動けんよ」
「いまアンケートとったら賛成が多いんじゃないですか?」
「俺の調べた範囲じゃそうは思えない」
ふうん、と言ってサラは食事に集中した。──とデュカスが安心していると、唐突にサラは言った。
「サリア姫はどうするんです?」
「ぶっ……、なんだそりゃ」
「なんだじゃないですよ。けっこー大事な案件だと思いますが」
「そうかな」
「そりゃあ王子のタイプにどんぴしゃだとは思いません。でも現実を見ましょう」
「現実て……」
「それ以上のことは申しませんが、彼女のことをまじめに考えないのでしたらあたしは王子のこと嫌いになりますね」
「考えはしてるよ」
「ならいいです。あ、この話はしばらくは口にしませんからビクビクしないでいいですよ」
☆
もうすぐ零時になろうとしている。個室に移っているデュカスはタバコを吸い終えると就寝の準備に掛かり、明日はフェリルに帰れるかな、と思っていた。まだ背中に痛みが走ることがある。気づくとぼんやりしていることもある。
──万全ではなくとも帰らねばなるまい。いまの俺はいろいろと忘れていることがあるはずだ。疲労と逃避のなかに俺はいる。自覚しろよ。そう彼は自分に言い聞かせてベッドに横たわる。
それは深夜三時を回った頃であった。デュカスが部屋の外と内に散布してある銀球危機対応センサーは何かを捉え魔法の主人にそれを伝える。デュカスは目を覚まして身を起こし危機に備えた。
一応かるめの結界は張ってあるのだが相手が上位の使い手なら意味がない。しかし攻撃魔法も防衛魔法もいまはそれなりに使えるはず。そう彼は踏んでいた。
ウー、という声が聞こえる。その低いウーという声は最初はひとつだったが、それはふたつとなり三つとなり、やがて増殖し始めた。ウー、ウーと音量はふつうだがさまざまな声が部屋に響いている。
……さまざまな声なのだろうとデュカスは思った。怒り、憎悪、怨念といったものが込められてあるのだろうと。
とはいえそこに感情はなくどちらかと言えば機械的とも言える響きがある。これは奇妙だった。
もしかして俺の内側の声なのかとも思いもした。誰かが心の暗黒を引きずり出し、威圧の意味合いで聞かせているのか?
彼はことの成り行きを静かに見守ることにして、次に何が起こるのか待った。
いかほど経ったであろうか声はやみ、薄明かりのなか、部屋の隅にうずくまった黒い影を彼は見た。
うめき声のなかで影の言葉が発された。
「うう……、お前は何ともないのか……? 多くの嘆きの声を聴いて……何ともないのか……?」
影はそう訴えていた。苦しそうな声だった。
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