47

 デュカスは縛で国務長官を封じた。時間の無駄であったからだ。


「長官じゃなくてあなたですよ」


 サラは驚いた。そうか、と。


 秘書が言った。


「……用件は、」


 バシィ!というけたたましい音とともに女の体は弾けるように膨張し、狼と人間を掛け合わせたミュータントを思わせる外観の化け物へと変化した。獣化である。パワー、スピード、耐久性を爆発的に向上させる魔法だ。欠点としてスタミナは低減する。


 サラはすぐに相手の内実を把握した。ノースリーブの戦闘服を装着している。彼女は獣化しても魔法が使えるタイプなのだ。腰の後ろは死角となっているが尻尾はないようである。

 濃い灰色の毛並みに覆われた各部の筋肉の盛り上がり、とくに肩の筋肉はえげつない。 膨張と変化のオーラが放った衝撃波は部屋の壁という壁にヒビを走らせた。


「あんたたちへの復讐よ」


 即座にデュカスは球体の結界を作り、魔方陣を張って四人共々城下の荒野へと移動した。


 デュカスが長官の襟首をつかんで遠くに放り投げると、その勢いで彼はごろごろと転がっていった。死にはしないだろう。本物の長官かどうかしらないが。


 自身も背を向けて歩き、二○メートルは距離をとってからふたりに振り返る。


「あいつは参加しないのか?」と女。


「余計なことは考えるな、目の前に集中しな」


「力の差は明白だが」


「王子とやりたいのならあたしを殺してからにしな」


「ゴミが」


 ヒュッ、と女が姿を消す。次に現れた時にはサラの左側面に女は付いていた。鋭い右正拳がサラを襲う。サラはしゃがんで拳をかわし、つづいて突き上げられた左ヒザを両腕でブロックする──浮き上がったサラは相手のヒザを土台にして顔面へと頭突きを放った。


 あたりはしても女は傾いだだけで、地面に着地したサラへ左回し蹴りを放つ。うなりを上げる蹴りであったが、蹴りが的に到達する時にはその姿はなかった。次の瞬間、サラの左の前蹴りが背後から女の腰を襲い、ズッ!という音を立ててブーツの底が食い込む。


 女からすれば大したダメージはなかった。獣化は痛覚を鈍らせる。心理的なダメージもない。振り向きざま、女は立てつづけに拳を撃ち込んでゆく。腕が振るわれるなかをサラは泳ぐようにしてかわしてゆく。緩急をつけたよい打撃だ。拳のひとつ一つに怨念が込められていてもパワーに頼った体術ではない。


 外観とは相反する精緻な打撃である。ゆえにサラは防御だけで激しく疲弊してゆく。疲弊すると女の打撃は一撃一撃が重い打撃に切り替わり、サラはダメージを蓄積してゆく。女の打撃には得も云われぬ覚悟のようなものがあった。そしてやがて来るであろう蹴り。サラはそれが来た時──右のハイキックであった──彼女は右手による空圧魔法で軸足の左ヒザに空気の塊を叩きつけた。ボッ!という弾けるような音が鳴るが空圧魔法に大した威力はない。だが瞬間動きは止まる。


 両者の時間が止まっていた。サラの脳裡には教官の声が響いている。


 獣化した相手への対処は教官のひとりであるリクサス中将から教えられている。


〈──ポイントは序盤だ。相手は圧倒的なパワーを得て過信している。また心も体も慣れていない。そもそも獣化の作業に法力を大量に消費した直後だ。相手が自分の状態に慣れる前に先手を打つのがセオリー〉


 対する女の方には混乱があった。

 理屈ではわかっている。戦闘にあたり法力差は決定的なものではない。現に相手の法力量は半分ほどだ。しかし互角に戦えている。自分は相手に対して踏み込めないでいる。何が違うのか? なぜ思ったように打撃があたらない? 自分ではわからないが威圧されているのか? 何かが狂わされているのか?


 両者の時間が再び動いた時、ドッ!!という低い音が鳴り響いた。女の蹴りは空を切り、サラの右ヒジが相手の肝臓に撃ち込まれていた。万全ではないためダムドは使えない。やれることは物理攻撃のみ。サラは反撃覚悟で地を踏みしめ、拳のみのコンビネーションを振るった。正拳、フック、フック、アッパー! すべてが頭部に直撃した。すべてが派手な音を立てていた。が、直撃の四発を食らっても女は崩れず後方に飛びすさる。耐久性の高さはさすがに獣化のなせる技か。


 サラも消耗しており追えない。互いにハァハァと息をついている。


 サラは王子の言葉を思い返していた。


──獣化しても魔法が使えるやつはやはり最後には魔法を使うものなんだ。


──あたしのカンもそう言ってる。


 研ぎ澄ませ。世界と一体化しろ。核心を捉えろ。


 化け物となった女は最後の力を振り絞って前に出た。相手を潰すことしか頭になかった。復讐の一撃を相手に撃ち込むことしか心になかった。相討ち上等!!


 風が鳴り、女は三つに分かれた。古典的な攻撃魔法の定番である《分身》である。


 ただの一撃でいい、報いを!!


 サラは体に任せた。本体を見破り捉える自身のセンスを信じた。迫り来る左、中央、右の三体。三つの化け物。


「ぎっ、」


 サラが歯を食いしばり渾身の右フックを振るう。


 ゴン!と硬質な音が響いた。サラの拳は左の女の胸板を撃ち抜いていた。カウンターである。サラ自身にも跳ね返りの衝撃が届く。胸板は大きくへこみ、衝撃波は背中を抜けて虚空を揺らした。分身は幻惑効果は高くともそれによる防御力の低下がネックである。


 サラの拳は相手の肋骨を粉々に砕いた手応えを得ていた。


 後ろに吹き飛び地に倒れ込む女。それは壊れた人形のような無惨さであった。


 サラは胸のなかでつぶやくのだった。

(……あたしは天才ってだけじゃなくて、フェリルが作り上げた傑作なのよね。あんたはこっちの世界ではA級なんだろうけど……、相手がわるかったわ)

 そうつぶやいたあと自分にツッコミを入れる。(なんつー傲慢な女か、)と。



 仰向けに横たわる女の毛並みは剥がれ、露出した肌は充血し、体のあちこちに血が流れている。頭部はぼろぼろだった。朽ち果てた樹木のようである。その肉体からはか細い生命力しか発されていない。


 サラは周囲を見渡した。転がっていた国務長官はいつの間にか姿を消していた。陣で消えたか。


 彼女が倒れた女に近寄ると、女が声を発した。


「なに……をやったの……?」




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