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 書籍の群は視界を埋め尽くす勢いで大量にあるものの、殆どはイミテーションであり本物はそこに紛れ込ませてあることが彼にもわかる。ブレンナーがデュカスを誘導して奥へと連れていく。途中で止まると彼はある一角を指差して言った。


「閲覧可能なのはこの区画のみだ。この範囲なら好きなものを選んでよい。これまでに読んだことがあるのか?」


「一度だけ機会がありました。時間の期限とかは?」


「とくに聞いておらん」


 デュカスが棚から選んだ書籍のタイトルは〈治癒魔法について〉であった。近くにある机に持っていってその深緑地に金の装飾が施された書を見つめる。ブレンナーは離れたところにある椅子に座り、腕組みをしている。デュカスが声を掛けた。

「ここ禁煙ですか?」「当たり前だ」とのこと。


 デュカスは自分が回復していることをいま確認し、少しだけ気分が楽になる。いつもの自分を取り戻しているのだ。

 書籍のページを開いて彼は読み進めていく。


 魔法における治癒とは不思議な分野だ。完全な意味合いでの治癒魔法は存在してきていない。回復力を高める、外傷を治すくらいの働きしかないのが一般的で、基本的にその範囲でしかデュカスは見たことがない。賢者の技であってもだ。破壊力・殺傷力についてはとてつもなく発展してきているのに、相反するこの分野は未発達というアンバランスさ。これは長年の謎である。誰に問うても誰も解を出せない謎である。


──マスターズを読んだからってそこに記述があるとは思えないが、何かないかな?


 彼はそう思いつつ記述に集中する。

 賢者の資質を持つデュカスであったが、この分野の法力はまるで機能しないので自分が使うことは諦めているのが現状である。


 書の記述には呪文や使い方、法力の応用についての内容が序盤にあり、それはそれで参考になるとはいえ実践できるわけではない。役に立ちそうにない部分は素早く読み飛ばしていく彼であった。


 というのもマスターズの閲覧はただそれだけで法力を大きく消費するからだ。賢者の言語で記されているため翻訳が要り、この翻訳が簡単ではないのだった。感覚的には脳内を燃焼させるイメージである。《翻訳》魔法は使い手を疲弊させる。


 二時間ばかり時が過ぎる。さすがに集中力は限界がきていた。法力を稼働しながらの読書はたいへんにきつい。脳が悲鳴をあげている。もう限界だと。


〈神の領域〉という単語があった。その単語があるパートは長く、難解だが要約すればこうなる。治癒とは人間の領域ではなく神の領域であると。文脈を読み解けばこう告げている。人間が手を出すべき分野ではない、と。立場をわきまえろ、とまでは記されてないが、つまりはそういうことがつらつらと記述されている。


──暗喩で書かれてあるということはあれか……禁忌の分野であり、ということは他をあたれということになる。賢者の領分ではないのだ。


 ヒントと言えるようなものは何もなかった。では何も得るものはなかったかと言うとそうでもない。そこには確かに魔法の本質があった。人間のために存在しているわけではないのだ。


 デュカスは書を閉じて席を立ち、眠っている賢者ブレンナーのところに行って声をかけ、書を彼に返却する。退室すると床に陣を張り、応接間前の廊下へと移動した。帰りは不安があったのだが通常通り陣が機能してほっとする。


 ノックをして扉を開けるとそこには五人の賢者会メンバーの姿があった。代表以外は明るい表情を見せている(賢者としてはだ)。


「けっこう頑張ったな。お疲れさん」


「正直見直した。賢者でも新入りはそう長くは読めん」


「得るものはあったか?」


「少し。ただ疲れました。……また来ますね。お邪魔しました」


 タンジール代表が言った。

「ああ、歓迎はせぬが受け入れはする」


 椅子に座っていたサラとソロスが立ち上がり、ソロスが言った。


「ずいぶんくたびれとるな。戦いのあとのようだ。ふらふらではないか」


 あなたは元神官なので地上人の苦労がわからないんですよ、と内心思いはしたが、デュカスは口にはしなかった。


「帰りましょう」


 褒美とは閲覧だけではない。閲覧を許可するということは人間関係のつながりを認めるということだ。デュカスが求めていたものがこれである。“魔法の網”と呼ばれる概念がある。魔法に取り憑かれた者たちは蜘蛛の巣に掛かった獲物同然だとする考え方である。その意味では賢者も戦闘系も差異はない。そこには平等な世界が広がっている。デュカスが好む世界だ。

 三人は賢者会本部を後にした。


 時刻は二時過ぎ。食堂として維持されている室内で三人の遅い食事が終わると、そのタイミングで室内にベリルが入ってくる。

 サラは「ベリルさんどうしたんですか?」と声を上げた。


「執務室にまたこれが置いてあってな。お前宛だ」


 ベリルは持ってきた赤い金属製の箱をサラに渡す。上面に張られたポストイットを見てサラは言った。


「今回はそこそこ難しいって書いてありますね」


「気が重いな」とデュカス。


 扉を開けて手紙を取り出すと、サラは事務的に文面を読み始めた。


「闇の魔法と呪いの魔法の違いがよくわかりません。解説をお願いします」



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