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 目を覚ますとベッドにビオレッタの姿はなかった。デュカスはしばし茫然と時間を過ごした。何の痕跡も残しておらず魔方陣で去ったのだろうがスマートな振るまいであった。彼女の匂いが脳裡に刻まれている。彼女の存在が脳裡に刻まれている。明るい光のなかの彼女がどう見えたのか、それを知りたくもあった。彼女は夢を見せてくれたのだ、と彼はずいぶんと独りよがりな解釈をしていた。

この際はっきり云えばいまの彼は人間らしさを取り戻していた。なにも失うことなくだ。体も法力もかなり回復してきている。


──偽りのロマンスなのに、偽りだからこそ全身が支配されかかるのか。


 そんな新たな発見もある。

 結局のところは彼女に取り込まれてしまったような気がするが、デュカスはこの件について考えることをやめた。いまは流れに身を任せるしかないし、あれこれ考えるのは時間の無駄だ。人間関係というのはそんなもんだろう、と彼は自分をごまかした。

 いや、あなた王族ですよ?


 昨日の夕食の際、ソロスからいつ賢者会に行くのだ、と話題を振られ、賢者会奥義の秘伝書〈マスターズ〉閲覧のことを思い出した彼は体調を見て決めますと返していた。ソロスは付き添いで自分も行くとすでに決めていて、デュカスは頼む手間が省けた。体調はよさそうだった。各部の筋肉に違和感があるものの順調な回復が進んでいる。これなら病室から個室に切り替えても問題はなさそうである。病室は装備も薬も揃っているので便利ではある一方で看護士の出入りが面倒なのだ。もう鎮痛剤に頼ることもないだろうと彼は楽観する。賢者会本部にはサラも行きたいと言っていたのでソロスも含め三人での訪問になる。


 賢者会本部に来訪の連絡を入れたあと、三人は十時に城を発った。ソロスの魔方陣で賢者会本部前の芝生に出ると、サラが感嘆の声を上げる。建物の入り口前には美しい池が広がっていて、水面に白い宮殿が映り込み、すべてが輝いて見えた。


 後ろを見ると広大な敷地があり緑の芝生と白い円柱が視界に入ってくる。遠くに門があり、サラは「あれ、勝手に敷地に入っちゃいましたね」と言った。


「いや、私はあの門の前に設定したのだが、自動的にここへ誘導されたのだ」とソロス。


「へー」とサラ。


 デュカスが宮殿に向かい歩いていく。ふたりは彼にについていった。


 入り口で待ち受けていた係員に案内され賢者会本部の応接間に通された三人は二名の賢者の迎えを受ける。代表のタンジールと副代表のワルトシュタインである。挨拶のあとデュカスが訊いた。


「アスケナージさんの容体はどうですか?」


「まだ入院中だ。顔面が陥没しておるからな。じきに代理を送らねばならぬ。──最初に断っておくがすべてを閲覧させるというわけにはいかん」


「それは承知してます。そこはあなた方任せのところです。例えば対戦闘系の部分なんてのはだめでしょう。俺が求めているのはもっと根本的な部分、根源的な部分です」


「……なぜそこまでこだわる? お前はそもそも王子だし、覇権欲はゼロだ。これ以上魔法を掘り下げる必要があるのかね」


「二十何年か付き合ってきておりますが、魔法は謎だらけなんです。謎を紐とくヒントがほしいのです。で、根本にあるのは魔法の極限を知りたいという探求心です。そしてこうした思考、この思考にまつわる行動を権力者が嫌うからです」


「権力者とはお前の世界の賢者会か?」


「はい」


「わかっとらんな。ソロス、説明しとらんのか」


「まあ、はい。べつに説明の必要性はないかと」


「……あるであろうよ」


「ではあなたがなさればよいのでは?」


「そこまで踏み込みとうない。お主は私を脅しておるのか?」


「まさか」


 一同が沈黙する。デュカスが声を発した。

「まあ、あとでソロス氏に訊いてみますよ」


 閲覧の立会人として選ばれたブレンナーという賢者が部屋に入ってきてデュカスを案内するという。

 サラとソロスのふたりは客間で待つことになった。賢者のふたりは陣で床に消えてゆく。サラは部屋の調度品や本棚に置かれた書籍を見て回り、ソロスはソファーに腰を沈めてタバコを吸った。謎の空調システムはタバコの煙を消滅させており、部屋に煙が漂うことはない。


 廊下に出るとブレンナーは球体の結界を張り、デュカスを連れて結界ごとどこかへ運ぶ。移動していることはデュカスにもわかるが、これは彼にとってその仕組みが理解できない未知の魔法だった。


 まるで次元移動のような感覚に襲われるなか、着いたぞと言われて周囲を見回すと、アーチ状の枠に囲われた古ぼけた木製の扉と白壁が広がる空間がそこにはあった。ブレンナーが扉を開け歩みを進めていくので黙ってデュカスはついてゆく。


 ふたつめの扉を開くとデュカスの目の前には図書室のような書籍がぎっしりと詰まった棚の列が現れた。


──セキュリティか。デュカスは微妙な不快感を抱いていた。ピリピリとした何かが辺りには満ちている。警告の空気が彼の体全体を包んでいる。





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