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──自分に攻撃魔法を掛けるか。

 彼はそう判断した。できないことではない。やったことはなくとも、応用できそうな気がした。

──いまの俺なら。


 己の内側に。精神に向けて使うのだ。これは一種の試練であり、自分はいま受難の最中にある。そのことが見えないだけ──


 デュカスはいまだ未知の状態にある魔法を自分の内側に向けて発動する。


《ユニバース》


 言わば宇宙の意志にすべてを委ねる魔法である。そこでは敵も味方もなく人間も動物もなく権力者も貧乏人もなく、ただ生命体としての個があるのみ。そしてその個はやがて宇宙の意志と一体化し、個ではなくなる。消滅法の別解釈バージョンとでも呼ぶべきか。とにかく対象を消滅に導く技である。


 いま彼は己の欲望を消滅しに掛かったのだ。瞬間の勝利だった。彼は本質にたどり着いた。ほんとうに欲しいのは下半身の方だということに。本質に気づくとデュカスは別の事実にも気づく。単に賢者眼を使えばよかったのだと。いかに理性が吹き飛んでいたかである。


 ビオレッタはアイボリーのシャツを床に脱ぎ捨てた。その下はなにも身に付けてなかった。紡錘形の豊かな胸があらわになり、上半身裸のまま彼女はデュカスを見つめた。デュカスは立ち上がってビオレッタのそばにいくとシャツを拾い上げ、裸の彼女を抱きしめた。


「このまま抱いてしまうとハニートラップですよ。フェリルの資産をいくらむしり取るおつもりですか?」


 そう言って腕をほどき、シャツを着させようとした。しかしデュカスは強く抱きすくめられる。


「お互いにチャンスなのに?」


 デュカスはかるくキスをした。ふたりは静かにキスを交わした。


「私はあなたを取り込みたいの。国益のために。だって私は王族だから」


 デュカスはふたたび彼女を放し、今度はシャツを着せることができた。ビオレッタはボタンを留めようとはしなかった。


「あなたはいま危険すぎる。またご自分がどれほど危険なことをしているか理解していない」


「理解したくないわ。自分の直感以外は。ゆっくりしてるとあなたは他の人のものになるかもしれない」


 デュカスは彼女を抱えてベッドに向かい、その見た目よりも重いボリュームのある体を横たえた。そして自分もベッドに横になった。


「そのうち、よきタイミングでフェリルに遊びに来てください」


「意外にここのベッドもしっかりしてるのね。安物かと思ったら」


「何もかもが高品質ですよ。この国が豊かってことです」


「あなた私が好きなんでしょう?」


「でもあなたは俺のことを好いてはいない」


「嫌いじゃないわ」


「それだけでしょ」


「いえ大したものよ。私は人間嫌いだもの。戦闘系なんて最たるもので大嫌いな人種よ。滅んでしまえっていつも思ってる。でもあなたは嫌いではないわ」


「光栄ですね」


「あなたの戦うところが見たかったな。嫌いになれたかもしれない」


「野蛮で粗暴な猿、と言われたことがあります」


「女?」「はい」「いい女?」


「あなたほどではありませんよ」


「やっぱり私のこと好きじゃない」


「出会った女であなたはいちばんいい女、と言っていい」


「ほら。政略じゃないけど、政略的な結婚もよくない? お互いプラスだと思うけどな」


「フェリルに来て、フェリルを知ってからにしてください」


「私にとってはいまがすべてなのよ」


「いまの俺は魔法がすべてなんですよ」


「私にはわかるわ……あなたのなかには女がひとり、いるのね。でも亡くなってる感じ? 忘れられない女?」


「その話はしたくないです」


「私なら忘れさせてあげられる。私ならあなたの人生をうまくコントロールできる。パートナーとして最適」


「最適すぎますね」


 デュカスのなかではサリアが輝いていた。これは初めてのことだった。いままでサリアを女として見たことはなかった。──しかし確かにいま、サリアは彼のなかで重みを増し、かけがえのない女に変わっていた。

 彼がいま変わったからだ。


「ビオレッタ、あなたは愛人に最適だ」


「こんなに短い時間で同じ結論になるとはね。魔法かな」


「あなたの魔法だ」


 そう。ビオレッタは身を呈して妹の価値を、自らを通して伝えていた。そのような意志があったわけではない。たまたま人間関係の歯車がそう動いただけだ。


「もうちょっといろいろあってから、いろんな段階を踏んでからその結論にたどり着きたかったな。約束はできないけど、そのとき私が自由の身でいたなら愛人にして。ふんわりした愛人契約」


「それでいいんですか」


「鎖につながれた人生なんてまっぴらよ」


 ビオレッタは眠りの態勢に入った。それを見てデュカスは安らぎを得た。こんなふうに安らぎを得たのはいつ以来か思い出せなかった。彼はまるで長い長い旅をしてきたような感覚に包まれていて、疲れがどっと涌いてきていた。このまま流れに身を任せることにして、彼も眠りに入っていった。


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