29

 朝八時に起床した彼は個室に食事を用意するよう部屋の外の衛士に頼んだ。仕事に集中するためである。昨晩に今日の予定はエリーアス王とふたりの大臣との間で取り決められている。右大臣が“国家機密たる人物”のところまで案内することになっている。


 デュカスは不安だった。自由意思でここでの暮らしを選んでいる人物に果たして自分が何を進言できるのか。大いに疑問だった。

──でたとこ勝負だよな。と自分に言い聞かせる。


 時刻は午前九時半。デュカスは案内役の右大臣フォンツに連れられ階段を下りていた。いま彼は国家機密たる人物との面会のため城の地下へと移動している。左横にいる右大臣は重い空気を全身から滲ませていた。


 元神官と呼ばれるその人物がこの世界の賢者会に保護された経緯は聞いた。


 天界より追放され、下界の人間として隠遁生活を送るつもりでいた彼は当初、この世界の一国ペルージュの森に身を潜めていたのだが、賢者会メンバーの鋭敏な感覚から逃れることはできなかった。彼はこの世ならざる気配の抑制を怠っていたわけではない。抑制には限界があったのだ。


 そしてこの情報を聞き付けたエリーアス王が賢者会と交渉し、多額の寄付と引き換えに彼の身柄を手に入れる。この男の名はソロス。彼は国の虜となる代わりに生活の保障を要求した。彼は賢者ほどの法力は保持しておりその気になれば一級の魔法使いとして働くことが可能だった。しかしいかなる役職・労働も拒んだのである。エリーアスは彼のすべての要求をのんだ。快適な暮らし、王族並みの身分、外界との断絶など。


 階段を降りきると石畳の通路がつづくいにしえの空間が広がる。ここまで来るとデュカスにも元神官の気配を感じざるを得なかった。体の奥に響く違和感、どうにも落ち着かないこびりつくように不穏なもの……体が拒絶反応を示していた。間違いない。秘めたる法力は地上の人間のものではない。そして精神面に秘めたる力の、その正体は憎悪だ。追放刑となれば致し方ないか、とも思う。


 自分の場合はゆるく曖昧なものだが彼は文字通り天界から完全に地上へと打ち捨てられている。屈辱以外のなにものでもないだろう。或いは感覚のスイッチを切り、無感覚になる道もあろうが彼はそうではないわけだ。復讐としての贅沢であり復讐としての怠惰なのか? そんな風にも思わせる。


 右大臣は通路で待ち、デュカスひとりが面会に赴く。頑強な外観のひとつ目の扉を抜けたあと、ふたつ目の瀟洒なデザインの扉をノックすると中から返事があり室内に入る。赤を基調とし、各部に金色の装飾が施されたいかにも貴族を思わせる内装である。


 男はデュカスの顔を見て憮然としていた。


「……お前が来ると聞かされていたのだが……実物は驚かされるな。なんという法力だ……多重構造な上に、もうひとつ別に備えておるのか……」

 しばし沈黙したあとつづける。

「で、私に何の用だ」


「おはようございます。お話を伺いに参りました。あなたがなぜ追放刑を受けることになったのか、その経緯について」


「知ってどうする」


「それが仕事なんです」


「不思議なやつだ。なんの事情も話さないのに、私にはわかる。私にとって非常に重要なことなのだな? 私自身に」


「はい」


 初老の男はデュカスをテーブル席に案内し、自分も座り、自分に用意してあったコーヒーをすすった。それからおもむろに口をきった。


「簡潔に言えば代表との対立がその理由だ。対立の蓄積がまずあり、追放刑を受ける直接のきっかけとなった出来事自体は些細なことだった。……魔法世界全体の仕組み、法力分配の仕組みは知っているか?」


「いえ」


「魔法世界で自然発生する法力とは別に、天界が下界に分配する法力があるのだ。その分配によって魔法界全体の均衡をとるのが神官たちの仕事のひとつだ」


 黙って頷くデュカス。


「案件の決定は六人のうち五人による多数決と決定権を持つ代表によって決まる。私以外の神官たちは──とある世界の賢者会に法力を集中させようとしたのだ。それはリスクを伴う──その世界の内側ではいいかもしれないが、賢者会の力は他の世界にも強い影響をもたらしてしまうのだ。魔法界は別なようでいてそれぞれが作用し合う関係にある」


「ああそれはわかります」


「反対だった私は仕方なく他の神官たちを説得にあたった。しかし代表はその行為を認めなかった。根回しをし、私の説得は政治工作とみなされてしまった。天界では政治工作は禁じられている」


「ほんとに些細なことですね」


「人間界では些細でも、禁を破ったことで何もかもを失ったわけだ。つまらん話だろ」


「筋が通った話です。あなたはバランスを重んじたのですね」


「その通りだ」


「なぜ他の神官たちは“とある賢者会”に法力の集中を望んだのでしょうか」


「詳しい話はできん。守秘義務がある」


「守秘義務……それはもう意味を成しません。天界ではあなたの存在はなかったことにされている。あなたにまつわる情報はすべて抹消されてます。そのとき何があったのかは当事者しか知りません」


「それはそうだろう」


 元神官は怪訝な顔をした。


「……なぜお前は天界に通じている? お前の雇用主はアッシュではないのか?」


「後任の神官にはさっぱり事情がわからない」


 ソロスは語気を強めた。


「答えろなぜ天界に通じている!?」


「あなたの後任はアインさんです」


「!」


「俺はアインさんから依頼を受けてここに来ています。お前が話を聞いて、その内容が納得できるものであったなら……彼を外界に出してほしいと。虜の身は友人として辛いと。ひとりの人間として世界に貢献する姿を見たいのだと」


 ソロスは愕然としていた。

 デュカスは彼の目を見つめて問うた。


「……なぜ法力の集中を望んだのでしょうか?」


「特異な魔法使いが現れたからだ。その人物は戦闘系でありながら賢者の資質を備えて生まれてきた。前例がなく成長の先が読めぬ存在……下界の均衡にとっては脅威となる存在だ。だからだ。だから対策として賢者会を増強しようとした」


「なるほど」


「……当時の私はお前の出現を世界の意志と捉えたのだが……いまは自分が間違っていたのではないかと思い始めている。いまこの瞬間はな。デュカス。お前には死と呪いの匂いしかしない」


「よく言われます」


「いまは知らぬが、天界から見てお前が危険すぎる存在なのは変わらないだろう」


「……姿は見せませんでしたが、現役の神官自らが依頼する人物が、真に危険な存在でしょうか? 時代は移り変わっています、激しく。毒をもって毒を制すということかもしれません」


「お前が便利なだけだ。思い上がるな」


「似たようなことをいろいろな方から言われてます」





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