28(第三部)

 時刻は午後六時。終戦協定の調印式のため賢者会本部に呼ばれたのはふたりの王とそれぞれ大臣ふたりずつの六名であった。賢者会の主導により滞りなく終戦協定は締結される。


 この際エリーアス王より意外な提案があった。懸案となっていたハロル地帯の領有権の共有である。ニコラス王がこの申し出を断るわけもなかった。内政においても奪われるよりは共有の方がずっとよい。


 むろんエリーアスの思惑がわからぬはずもない。不毛の係争地獲得に経済効果はない一方で共有にはわずかであれ経済効果がある。貿易相手国ガルーシュの国民感情を鑑みれば合理的な判断であった。


 この頃、バラード城内デュカスの個室にてデュカスとベリルふたりだけの話し合いが行われていた。ベリルが語ったのは自分が知る魔法界全体の情勢と主にはデルタ・ランブラに関する情報についてである。これはレールダム王の指示に基づいていた。デルタの戦力を削ることにデュカスを利用しようということである。なぜ直接の対立を避けるのか、の問いがデュカス側からあり、ベリルはこう答えていた。


「手が出せないんだ。うちの政府より上の機関が関わっている……俺個人は関わってるどころではないと思ってるよ。パワーバランスを崩し、新たなパラダイムを築こうという意志を感じる。こういうのにソミュラスとしてはできるだけ関わりを持ちたくない。しかしそうも言ってられなくなってる。で、最前線にいるお前が役割として打ってつけだと」


「シュエルにも手を出すのかな」


「お前のところは特別な賢者会があるからたぶん大丈夫。取引なしには手が出せんだろ。そもそもあらゆる開発は対戦闘系であって対賢者ではない」


「“アッシュ”の一派なんじゃないのか?」


 アッシュとはデュカスの雇い主とも呼べる機関の名だ。魔法界を統べる神官たちの下部組織とされている。個人はなくひとつの集合体として設けられているようである。


 ベリルが言った。

「結界を張ってないなかでその名を口にするな。……話は以上だ」


 時刻は七時半を回っていた。夕食後に城の一階ロビーでくつろいでいるサラ、ベリル、クロムはデュカスが戻ってくるのを待っていた。


 デュカスはいま国王に呼ばれて王の間に出向いている。サラがベリルに言った。だめ元での問いである。


「王子の仕事の内容知ってます?」


「いや聞かんようにしてた」


「どうして?」


「見当がつくから」


「ならちょこっとだけ教えて下さい」


「前々から噂がある。……バラードには元神官が囲われていると。城か王宮の地下に幽閉されているとな。元神官は地上に送られる際に法力を奪われているから抵抗できないのだろう……そんな噂話だ。細かいことはともかくそうした事実があるとしたら……、ということはその人物をどうにかするんだろう」


「へえ……聞かなかったことにします」


「それがいい。お前は敵の援軍に備えてればいい」


「どういうやつが来るか見当はつかないんですか」


「デュカスとはいろいろ話した。知り得る情報はすべて伝えた。でもお前に語る許可は得てないんだ」


「気分はよくないですよね」


「お前周囲から生意気って言われてないか?」


「ええそうですよそうですとも」


「上司はどういう教育をしとるんだ」


「ガレオンさんから王族扱いするなと」


「にしてもだ」


「ふはは、知らん方がいいことってあるよサラ」とクロム。


 ベリルは少しだけ口調を強めて言った。


「お前の王子はとっくに個人じゃないんだ。もう個人を捨てて生きるしかない立場にある。負担にならんことだな」


 えらそうに、と内心思いはしたがサラは黙っていた。

 奥からデュカスの姿が見えてくる。三人に近寄ると彼は言った。


「驚いた。ハロル地帯は共有にするんだって」


「あー、係争地の」とサラ。


「ふーん、現実にあるんだな」とベリル。


「こっちの国民はそれでいいのかな?」


 そうクロムは訝しい顔をする。


「無関心らしいが……本音を言える社会でもなさそうなんで、難しいとこじゃないかと」

 デュカスがそう答えた。


「不満があっても自主的に抑え込む国民性のようだぞ。資料によれば」とベリル。


「ある意味、魔法なんだろうな。その点だけ見ると」


 デュカスはそう言ってロビーの隅にあるコーヒーの自販機に向かった。紙コップ式の自販機である。

 その後ろ姿を見て、サラはふと未来を見た気がした。ビジョンである。


 まるで自らが使う幻術──イミテーション魔法──のように立ち上がったそれは地にうつ伏せで倒れ込んだデュカスの姿であった。瞬間のビジョンであれ、サラは内心どぎまぎとした。自分の不安な感情が生み出した幻だと自分に言い聞かせはするが、それはあまりにリアルな光景だった。息遣いまで聞こえてきそうな。

 サラは思った。“あたしなのだ”と。決着をつけるのはあたしなのだ。あたしは全力でもって敵に立ち塞がらなくてはならない。王子を守るために。


        ☆


 ベッドの上のデュカスは床をノックする音で目を覚ました。時計を見ると午前二時を少し過ぎた辺り。なんだろうと一瞬思いはしたものの思い出した。“アッシュ”である。


「はい」と言って結界を解くと、床からぬるりと仮面を付けた男がせり上がってくる。賢者服に似たライトグレーのコート。フードを被った鈍い銀色の仮面。半透明になっている眼の部分はやや吊り上がった形状である。最初の出会いの際に見せたコートの中は漆黒の闇だ。デュカスはまるで闇のゼリーのようだと思ったのを覚えている。


「急ぎの用で来た」


「なんです?」


「非常にわるい知らせだ。今回の件、簡単には終わらぬ。気を抜くな」


 いつもの高圧的な態度ではないためデュカスは不思議に思った。


「……デルタとは違う黒幕が別に?」


「背後関係を調査中だ。それだけで深刻さは理解できよう」


 確かに。賢者会より上の機関がすぐには掴めないのだ。が、ベリルの話を聞いたあとではさほど意外でもない。


「私を変に疑われても困るんでな。調査の過程は過程として伝えに来たのだ。眠りを邪魔してわるかった。ではな」


 そう言い残すとアッシュは現れた時とは逆の動きでぬるりと床に沈み込んでゆく。


 デュカスはアッシュと契約を交わしている。デュカスが七つの仕事を完遂したのちにはアッシュが責任を持ってシュエル・ロウの賢者会と掛け合い追放刑を解除すると。追放刑解除が報酬である。


 とはいえデュカスの狙いは別にあり、報酬よりもアッシュとの関係そのものを彼は重視していた。直感的に重要だと感じたのだ。《魔法の秘密》と関わりがあるような気がする。ドラゴン族との対話、エルフ族との対話のなかで彼はそちらからの世界の成り立ちの話を聞いてきている。人間族はその一部にすぎない。というよりもどちらかと言えば端っこの存在なのだ。自然界を支配できているわけではない。


──ま、たぶん誰かの抹殺命令というところか。


 デュカスは胸のなかでそうつぶやいてふたたび眠りについてゆく。



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