24

 城下の荒野、青黒い世界のなかで元賢者は地面に倒れ込んだバラードの担当賢者を足蹴にし、また足蹴にし、馬乗りになって殴りつづける。賢者会への怨念、体制への恨み、体制から寵愛される者への憤懣を彼は暴力へと転換させている。物理攻撃による制裁でなければ意味がない。己の肉体を駆使してのうさ晴らしこそそこに確かな快楽があるのだ。


 彼は権力を味わっていた。無防備な人間相手の小さな権力だがこれこそ彼が求めていたものだった。魔法により鋼鉄と化した拳が打ち込まれていく。鼻血が飛び散る。ゴツゴツとアスナケージの顔面にだけボルダゲールは拳を叩き込んでいる。


 彼は喜びに溢れていた。俺が欲していたのはこれだ。俺の生け贄だ。俺の生け贄が流す血だ。これは俺の血だ。俺が流してきた血だ。あがなわれるべきなんだ、世界よ!


 青黒い空が群青の青へと変わり、男の声がした。


「終わりにしろボルダゲール」


 距離を置いたところ、デュカスが立っていた。


 ボルダゲールが「来たか」と声を発したあと身を起こす。険しい表情で相手をにらみ、その視線は禍々しいほどに鋭い。


「動くなよデュカス」


 ボルダゲールの右手には長剣が握られ、剣先は地面に横たわるアスナケージの喉元に突きあてられていた。


 デュカスとて安易には動けなかった。アスナケージの両手首に手錠がかけられてあり、それはデュカスの手に負えるものではなかったからである。対賢者用の拘束魔法が使われており手錠それ自体が何かの意志を持つような妖気を放っている。どう動くのかわからない危険な物体だった。


(天才なわけだ、この男は)


 そうデュカスは胸のなかでこぼす。


 荒野の三人を見下ろす丘陵にサラ、ベリル、クロムが姿を見せ、つづいて護衛たちに囲まれた国王の一行も現れる。


 ボルダゲールの声が響いた。


「聞けい、デュカス。ここで退け。シュエルに帰投し二度とこちらの世界に来るな。約束できるならアスナケージは解放しよう」


「約束? そちらが守る保証は?」


「俺を信じるしかないな。それになデュカスよ。援軍もじきに来る予定だ」


「援軍を待っていたのか?」


 相手はそれには返答せず別のことを告げた。


「お互い賢くあるべきだと思うが?」


 そう言ったあとボルダゲールは違和感を抱いた。己に対してである。自分は何か重要なことを忘れているか、見落としているのではないかと。しかしその疑念は無理矢理打ち消した。まるで時間の進み方が遅くなったように彼は感じていた。


 荒野を澄み切った風が吹き抜けてゆく。空の雲がその姿を濃くし、存在を顕示し始めている。

 空気が重く、ピリピリと緊張の度合いを高めていく。デュカスが言った。


「賢く? どのみち殺すんだろ? アスナケージもろとも滅せよボルダゲール!」


 デュカスは右腕を広げて構え、遠隔攻撃魔法ファウラーを発動し右腕に充満させる。激しく輝く紫色の電光がデュカスにまとわりつき、その電光は輝きを増していく。彼は法力を緩慢に増幅していく。周囲の空気が震え、その放たれる圧はボルダゲールの顔の皮膚を歪ませる。


 彼は怒りを露にした。


「ファウラーなぞ賢者に効くか! ばかめが! それに遅いわ!!」


 ボルダゲールは瞬時に左の掌を突き出し、デュカスに向け光弾を放った。

 しかし放った瞬間に彼はそれを悔いた。


(しまった……ッ)と。


 デュカスが法力をゼロにまで落としていたからである。光弾は標的を突き抜け丘陵の側面に漆黒の穴を穿った。


 後ろを一瞥してデュカスは言った。


「見事です。無駄のない良い技です」


 丘の上のベリルは国王一行を守っていた透明の防御壁“フィールド”を消し、腕組みをして戦況を見守る。そんな彼に国王が問うた。


「なんだ? 何がどうなった?」


「デュカスが法力をゼロにしたんです。光弾を食らう一瞬だけ。ふつうはゼロになんかできないものですが……その一瞬は一般人だったわけですよ。だから“透過”したんです。あのレベルの攻撃魔法をタメなく瞬時に出せる、というのも凄いのですがそれがアダとなってしまった」


「なんと……」


「そして、ある意味ここからが始まりです」


「?」


 ボルダゲールは動けずにいた。“縛”が全身に掛かっていたからだ。己自身の法力を源泉とした縛である。凍りついたように身を固め、しかしその足元にはチリチリと火種が灯っている。それぞれの足首をぐるりと火種の細い線が取り巻き、赤い炎は妖しく輝きを放っている。


 声は出せるようであった。悲哀と絶望のなかでの絞り出すような声だった。


「はあうあ……、これは……こんな終わり方があるか……」


 おもむろにタバコを取り出したデュカスは口にくわえ、魔法で火をつけると煙を虚空に吐き出した。白い煙は身をくねらせるようにして風に消えてゆく。


「……フェリルのね、先々代の王があなたと同じ亡くなり方をしてるんです。つまりじいさんですが。彼は巧妙にハーレムを作ろうとしたんですね。でも作ろうとした、というだけでその体に火がつき、燃え盛ったのちこの世から消滅したのです…… かように巨大な魔法力は些細な倫理違反を見逃さず、食らいつき、自らを自らの力で燃やしていきます」


「そんなことは──」


「むろん僕なんかよりよくご存じでしょう」


「ふざけるな……こんなことは、、あってはならぬ……」


「残念です。僕だって物理攻撃を使いたかった。そのための修練があります。あなたはそれを台無しにした」


「あ、悪魔め……」


 足首でチリチリと燃える火種は少し勢いを増していた。


「いやそれあなた自身の法力ですから僕じゃないですよ」


 火種はまるで生命を帯びているがごとく揺らめいている。


「うう……ひぃあ……熱い……ッ」


「そりゃ熱いでしょう」


「たすけて……たすけてくれ……」


「発動した賢者の法力なんて、どうにもできませんよ」


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