11

「来ませんね」


 約束の正午になっても相手は現れなかった。サラの視界全景に広がっている焦げ茶色の荒野に風が吹いている。ここから見える街の風景はどこまでも平穏そのものである。


「王子がいるからじゃないですか?」


 そう言ってデュカスの方を見ると、王子はキャンプ器具でお湯を沸かしていた。亜空間ポケットから取り出したのだ。小さな椅子に腰掛けた彼はコーヒーの粉を用意して着々と作業を進め、やがて一連の作業を終えると金属製のカップでコーヒーをすすり始める。


「はー」とデュカスはこぼし、

「来たみたいだぞ」とつづける。


 遠く魔方陣が現れそこから男がせり上がり、こちらに歩いてくる。

 黒い戦闘服姿の男が近くに来るとデュカスはキャンプ器具を片付けて立ち上がり、男に相対した。見た目は四十代前半に見える。


 男がデュカスを見やり言った。


「相手は女のはずだが」


「用がありましてね。あなたの立場は傭兵ですか? それとも黒幕ですか?」


「さあな。この戦いには関係ない」


 デュカスは軍服のポケットから小さな赤い物体を取り出した。魔法界の人間にはわからないがそれは鳥居の形体をしている。長さ十センチほどだ。デュカスはふたりから距離をとると、それを足元の地面に突き刺す。戦うふたりには法力が瞬時に荒野へ広がったのが理解できた。何の魔法だろう?


 デュカスは元の位置に引き返すと男を見つめて言った。


「これで地下空間への移動は封じました」


「ち……、使わねえよ。そのつもりはなかった」


「できるだけフェアでありたいのでね」


「かまわん」


 デュカスは左の地面に魔方陣を浮かばせそこに身を入れる。丘の上に移動すると彼は対峙するふたりを見下ろした。


 サラが声をかける。


「あんた名前は?」


「インディボルゲだ」


「ガルーシュとの関係は?」


「言えん」


 ふたりは無言で睨み合う。無言の間に辺りの空気が張りつめていき、虚空のきしむ音が聴こえてきそうだった。


 インディボルゲはやや腰を沈め構えた。


 サラは棒立ちのままである。


「構えんのか?」


「パワー、スピード、スタミナ、全部あんたが上。構えをとることに意味ある?」


──でもこれ魔法勝負なのよね。サラはそう胸のなかでこぼす。彼女は唱えた。


《剣山A》


 凄まじい勢いで無数の尖った岩が地面から屹立し相手へと迫る。

 が、これはイミテーションである。目眩ましの術にすぎず法力消費はごくわずかだ。Bは実体化の術である。


 インディボルゲはそのイミテーションをイミテーション破壊の術でなぎ払い、即座に距離を詰めた。


 バシィ!と空気を裂く音が響く。サラの左頬横の虚空に右ストレートが打ち込まれていた。

 サラは単にかわしただけだが、インディボルゲは即座に後方へ飛びすさった。射程距離に入った途端に悪寒が走り、理解し難い違和感を覚えたからである。この違和感は体に刻まれる質のものだった。

 これは防御の魔法か?とインディボルゲは訝しく思った。


 サラが発動させたのはフェリル独特の魔法カテゴリファンタシィ・エクスペリメントのひとつ《トランス》である。視覚的にはっきりとはわからないが周囲の空間をわずかに歪ませる効果がある。空間を操る技は元々は賢者の技だ。それを近接戦闘向けに応用した魔法である。地味な技だが専門の訓練なしにいきなりの対応は難しい。


──幻術の類いか。実際に対戦してみないとわからんな。


 インディボルゲは落ち着いていた。


 デュカスの横にいる国王が尋ねる。


「なぜ距離をとった?」


「一瞬でサラの本質をつかんだのでしょう。切り札だけあってさすがに強い。魔女は幻術に長けてるんですよ」


 インディボルゲが毒づいた。


「バケモノ魔女が……!」


「失礼だね。オシャンティな魔女と呼びな」


──本体のみに集中すればいいだけのこと。


 インディボルゲは己を生粋の戦闘系と自負している。彼は自身の体内から込み上げてくる歓喜、湧き上がる破壊欲を外から眺めている。


──サラ・リキエル、お前が本物なのは認めるさ。俺の獲物として認める。


 「アドバンテージになるのか?」

 そう問う国王。デュカスが答える。


「ごくわずかですが。向こうとしては幻術の定番である分身を意識せざるを得ません。なにより心を破壊する魔法の存在があります。サラはこの点まだ未熟ですが、使わなくともいいわけです。警戒さえさせれば」


「細かいな」


「パワーもスピードも上、経験も上、ならばこそ気にかかります」


 サラは一歩前に出た。その踏み込みから次の瞬間、右のフックが放たれ、轟音のもとにクロスガードの上から叩きこまれる。完璧な防御をとるインディボルゲはしかし、意を決して攻撃に全能力を傾ける。それに応じるサラ。互いの無数の拳が交錯した。


 直撃は食わないものの、サラの方が明らかに分がわるく削られているのは間違いない。相手が空間の歪みに対して素早い適応ができているからでもある。インディボルゲに迷いも当惑もなかった。




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