10

「あの方が前回ここへ来た時に、魔王討伐のあと休養をとられたのですが、その時お相手をしたのが私と私の侍女たちだったのです。短い間でしたが……お別れが来るとなって私は焦ってしまいました。もう会えないとなって追い込まれた気がしたのです。それで……」


「はい」


「私はあの方にプロポーズしたのです。そうは言ってないのですが、連れていってほしいと」


「へえ、」とサラは呆気にとられていた。しばらくサラは呆然としていた。やおら、彼女は「ええ!?」と大きな声を張り上げ、目の前の若い王女を凝視した。


「いえ、王子というのはその時は知らなかったわけです。いかにも自由人に見えましたし」


「そうでしょうけど……ええ!?」


「でも断られました」


「そうなんですか」


「まわりには国王も大臣も衛士たちもいたんですけどね。とにかく私は必死でした」


「そんなことが……」


「王子はこうおっしゃったのです。国民が望んでますか?と」


───おおよそ一年前、それは忘れ得ぬ記憶だった。

 国王への別れの挨拶のあと、デュカスはサリア王女の前に行き声をかける。


「短い間でしたがあなたのおかげで楽しい日々を送ることができました。どうか健やかでおられますように。あなたの幸せを祈ってます」


 王女は一心にデュカスを見つめて言った。


「またお会いできますか?」


「いや、これっきりでしょう。世界で何事かが起こらないかぎりは」


「連れていっていただけませんか」


 背後の侍女たちがざわめく。その言葉を聞き驚いていたデュカスだったが気を取り直して言った。


「国民がそれを望んでいますか? あなたがいなくなることを受け入れますか? ……あなたは公人だ。あなたが優先すべきなのは国民の意志ですよ」


「でも、、公人ではあっても人形ではありません」


 怒りの表情を見せる王女をデュカスは悲しげな顔で見つめていた。一言だけ彼は王女に返した。


「ではごきげんよう」


 それから侍女、衛士らに顔を向けて言った。


「みなさんもごきげんよう」


 その場にいた全員にとって忘れ得ぬ光景だった。この瞬間、それぞれに“また会うことになるはずだ”との思いが胸のうちにあったからである。すでにみなが見抜いていた。勇者というのは仮の姿なのだろうと。使徒のようにも悪魔のようにも見えた。どちらでもいいようにも思えた。城内、王の間であるにもかかわらず、デュカスは人々の心に風を吹かせていた。

 そんなふうにして彼はこの地を去っていったのだ。


     ―――――――


「一週間もしないうちに真実が伝わります。別の世界の王子であり魔法世界では広く知られた暗黒王子であると。しごく納得がいったものです。思いあたることが多くありました。そんなことよりなにより、そもそも許されない間柄だったわけです」


「まあ簡単ではないでしょうね」


「互いの賢者会の了承なしにはあり得ないと思われます」


「前例はないでしょうね」


「忘れようとはしました。けれど……忘れられるものではなかったのです。せめて遠くからでも見たいと思い……無理をしてしまいました」


「べつに……うちの王子はあんまり細かいことは気にしないと思いますよ。ふつうにこんにちはーって会えばいいと思います」


「内緒にしといてください。ここに伺ったのはフェリルでのあの方がどんな方なのか──そうした話を聞きたくて参りました」


「はあ……、困ります」


「なぜです」


「なんか王子との協議がいるような」


 実際、サラは困惑していた。身近な人間のひとりであるからだ。


「そうですか」


「お気をわるくしないで頂きたいのですが、私は部下であり、また彼は王子であると同時に師匠のひとりなんです」


「深く知るゆえに話せないことがたくさんあると」


「私の主観で語ることに責任は持てません。幅が広すぎて」


「あの……急いでいるわけではありませんし、なんと言いますか、一般論でいいのです。国民としての目線と言いますか、かるいものでかまいません」


「情報がほしいと?」


「勝手でごめんなさい。何か自分を納得させるものがほしいのです」


 勝手だと思う。サラは内心そう思った。ずいぶん勝手なことを言う。しかし、

──この人を嫌いにはなれない。

と強く思いもする。


「一時間だけ、話しましょう。かるい話を。国民としての話ならたぶん問題もないと思います」


「ほんとですか? うれしい」


 目をキラキラさせて言う王女を、なんとなく気まずい思いで見てしまう自分はなんなのだろう、とサラは胸のうちで思う。

 たいへんな役割を背負わされたものである。


「あと、私の父親はフェリル人で、母親はここバラードの出身なんです」


「知ってます」


「そんなにおかしなことではありませんよ。根本的には」


 サリア王女は言った。


「本心では私もそう思っているのです」


        ☆


 明くる日、デュカスは八時に目を覚ますと、朝食をとったのちにサラの病室へと赴いた。ノックをして入るとちょうどサラが食事を終えたところだった。


「どうですか体調は?」と丁寧に入るデュカス。


「おはようございます。至って健康であります」


「そう」


 しかしデュカスは訝しんだ。サラが何やらニマニマと笑みを浮かべていたからである。


「いやあ、なんかね。いつにもましてごきげんですよ、あたし」


「そ、そう……戦闘種族だからね」


「ぷはっ、そうじゃないですよ。やっぱり人間て鈍感力も大事だなあってそう思うんですよ」


「何の話?」


「いやあ王子、あたしはね、王子にたくましい男になってほしいです」


「何の話?」


「たくましくなってほしい!」


 わけがわからなかったが、大事な一戦を控えた“国の資産”である。デュカスは放っておいた。戦闘を前に昂っているのだろう。前段階なら良い傾向だ。



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